東海道筋

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 江戸時代より、東海道(現在の国道一五号)に沿うようにして細長く町地が広がっていたが、とくに、金杉橋から芝口橋(新橋)にかけて、現在の浜松町の近辺が明治初期における港区域の手工業の中心地域となった。『東京府志料』によれば、明治五年(一八七二)における年間生産高として、神明町(現在の浜松町一丁目近辺)が二万六三四一円、宇田川町(現在の東新橋二丁目近辺)が二万五〇八六円、柴井町(現在の新橋五丁目近辺)が一万四〇九八円となっており、当時の東京府において最大の商工業地であった日本橋・京橋地域とも遜色のない生産高であった。