地方三新法のひとつ、府県会規則にもとづき、東京府には府会が設置され、区はその選挙区となった。府会の権限は、主として府の予算を審議することだった。定員は当初、芝区が三名、麻布区が二名、赤坂区が二名であったが、明治一三年(一八八〇)から芝区が五名に増員されている。三新法期の府会議員選挙は、任期四年の半数改選で行われた。議員の交替は頻繁で、一期ないし任期の途中で辞職する者も多かった。三新法期の一二年間の間に、芝区では一六名、麻布区では六名、赤坂区では七名が府会議員に就任している。
芝区では、最初の選挙で福澤諭吉や江戸時代以来の書籍版元として著名だった山中市兵衛(和泉屋市兵衛)が選出されたが、すぐに辞職している。とくに福澤は、明治一二年の最初の府会で副議長に選出されたものの、繁忙を理由に就任を拒んだ(『東京府臨時会議事録』)。(松沢裕作)