文部行政において「通俗教育」という用語が用いられたのは、明治一八年(一八八五)一二月二八日に定められた文部省の事務章程においてである。この事務章程では学務局第三課の分掌は「師範学校小学校幼稚園及通俗教育ニ係ル事」とされ、「通俗教育」が教育行政の対象として設定された。しかし、学務局第四課では「専門学校其他諸学校書籍館博物館及教育会学術会等ニ関スル事務」が分掌となっている。すなわち通俗教育は、「書籍館博物館及教育会」とは別で規定されたことになり、成人に対する教育活動というよりも、小学校への就学促進の意味合いが強かったと捉えることができる。すなわち、保護者に対して小学校の意義を通俗的に語ることを目的としていたのである。
これ以降、「通俗教育」という用語が普及し、通俗教育談会や通俗教育談話会などと呼ばれる、親を対象とする通俗教育の会が開かれていくことになる。実際に地域で親に対して学校教育の意義を説く活動が行われると、次第に地域社会における社会改良的な活動も含めて学校外での活動を指すようになった。その結果、学校教育と家庭教育、社会教育の分類に基づく社会教育は、通俗教育と共通の概念で用いられるようになっていく。