1-3 コラム 福澤諭吉の社会教育論

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 「社会教育」という言葉を最初に用いたのは、福澤諭吉であるとされる。福澤は明治一〇年(一八七七)一一月一〇日、三田演説会で演説を行った際に、「人間社会教育」という言葉を用いた。演説をとおして福澤は、「有志の士」に向けて、学校教育のみならず社会から実を学ぶことの重要性を説いている(慶應義塾編 一九七〇)。
 「社会教育」という言葉は用いていなくても、社会の教育を重視する考えは、福澤が中心となり明治一三年に設立された交詢社(こうじゅんしゃ)の活動目的である「知識を交換し世務を諮詢する」(『交詢雑誌』)にも読み取ることができる。福澤は言を常に近代日本の市民社会を担う中産階級に向けていたことから、その概念は、その後の通俗教育と重なるものではなく、近代日本の市民をリードすべき中流文士が、自己教育を行う重要性を伝えていると捉えることができる。
 その後、本文で触れたように文部省官制では、学校教育外の教育を指す話として「通俗教育」が用いられたが、一般的には「社会教育」という語もよく使われていた。明治二五年には、福澤諭吉門下生・山名次郎の『社会教育論』が出版された。山名の社会教育論は「自治独立」の私的結社の教育の力と国家教育との関係で捉えたものであった。  (野村 和)