明治初期の政府の勧農政策のなかで、港区域に関連するものとして、三田育種場の設置も挙げなければならない。三田育種場は、前田正名の献策によって明治一〇年(一八七七)に三田四国町(現在の芝二~五丁目)に設置された官営の種苗(しゅびょう)会社で、農産物の優秀な種苗の普及(とくに外国種)、および牛・馬・豚・羊の種付けと改良、農機具の改良などを行った。また、馬匹(ばひつ)改良(優秀な馬の育成)のために競馬会を行い、多くの観客を集めたという。しかし、政策転換に伴い、三田育種場は明治一九年には官業払い下げの一環として民間に払い下げられ、民営の種苗商となった(牛山 一九九二)。
このように、明治前期には、一時的にせよこの地域にも第一次産業を育成する方向性も存在していたのである。