港区域では、海に面している芝区に漁業が存在した。漁業者がいたのは本芝浦と芝金杉浦の二か所で、漁戸数、漁業者数、漁船数は表1-4-3-4のとおりである。いずれの数値も、御林浦や羽田浦など東京府下の他浦に比べて少なく、芝区の漁業が盛んであったとは言えないが、旧『港区史』や『新修港区史』によれば、それは近世期から衰退した結果とのことである。新政府になってからは海面の国有化とそれに伴う旧来の漁業権、漁業慣行の廃止、さらには乱獲、漁場の紛争などが原因である。表1-4-3-4では、明治二〇年頃に向けていずれの数値も増加しているが、それには海苔や貝類の養殖に活路を見出したという側面があったのである。しかし、それでも近世期に比べれば少なく、長期的に見れば衰退の流れにあったことは否めない(『港区史』一九六〇および『新修港区史』一九七九)。
漁獲物としては、沿岸で獲れる鱸(すずき)、黒鯛、芝鰕(しばえび)、鰈(かれい)、鰻といったものが挙がっているが、なかでも芝鰕は、その名のとおり芝浦で多く漁獲されたことから名付けられたものである。(井奥成彦)
表1-4-3-4 各浦における漁業の展開
注1)n/aはもとになった史料にその欄がないことを示す。
注2)明治17年の漁船数は、品川浦・御林浦・羽田浦合計で1122。明治21・22年の御林浦は大井村、明治22年の羽田浦は羽田村の数値を入れた。
東京府『東京府統計書』(1884、1885、1887年2月・10月、1888、1889、1890、1892)をもとに作成