商店

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 旧『港区史』には明治一五年『東京府統計書』に掲載されている区ごとの問屋・仲買・小売および雑商の数が詳細に紹介されているが、本稿では紙数の関係もあり、同じことを繰り返すことは避ける。ここでは、一般庶民に最も関連の深かった小売店に限って若干の分析を試み、当時の庶民の生活を垣間見てみよう。
 表1-4-4-1は、明治一五年(一八八二)に各区に存在した多種多様な小売店のうち、種類別で数の多いもの上位一〇種を挙げたものである。この年、人口では芝区は麻布区の倍以上、赤坂区の四倍近くあったので、店舗数はそれ相応となっているが、各区の上位に入っている店舗の種類はだいたい同じような傾向を示している。それは一言で言えば、衣食住の基本に関わる小売店が上位に入っているということである。しかも「衣」と「住」に関しては、古道具類、古着類の店舗がいずれの区でも一位、二位を占めており、当時の生活スタイルが新品の購入よりも中古品の購入を主体とするものであり、この頃は江戸時代以来のリサイクル社会の延長線上にあったことが数字の上でも示されていると言えよう。このことはまた、損料を取って物を貸すいわばリースないしレンタル業者である「損料貸」が麻布区で三位、芝区や赤坂区でも(一〇位以内には入っていないが)それぞれ四七店舗と二三店舗もあったことからもうかがえる。
 「食」関連の店では、米雑穀類の店が多いのは当然であるが、酒類、味噌醬油酢類といった嗜好品や調味料の店がどこでも上位に入っているのが目に付く。また、魚類の店もどの区でも一〇位以内に入っている。また、この表には入っていないが、獣肉類の店も意外と多く、芝区で三四、麻布区で一六、赤坂区で三店舗あった。これについては、新しい時代の傾向が顔を覗かせていると言えるかもしれない。
 

表1-4-4-1 明治15年(1882)港区域の主な小売店
東京府『東京府統計書』(1884)をもとに作成