表1-4-5-3は、明治前期の港区域および東京府内の馬車数の変遷を示したものである。これによると、この間馬車数は順調に増加しているが、人力車同様、明治三六年に新橋―品川間の馬車鉄道が電化された頃から数を減らしていった。
東京における馬車鉄道は、鹿児島県士族種田誠一らが同郷の五代友厚の支援を受け、市街馬車鉄道を計画、明治一三年一一月に認可されたのが始まりである(図1-4-5-3)。開業は同一五年六月で、最初の路線は新橋―日本橋間であったが、同年のうちに新橋、日本橋、万世橋、上野、浅草、浅草橋、本町、石町が結ばれた(『新修港区史』一九七九および『東京府統計書』明治一五年)。例えば新橋から万世橋経由浅草広小路まで四二分、浅草広小路から上野広小路まで一六分であった。料金は、上記全区間が三区に分けられ、一区あたり一等車が三銭、二等車が二銭であった。現在の金額で数百円といったところだろうか。
表1-4-5-4は開業以降明治前期の間の東京府内の馬車鉄道に関するデータである。車両数、馬匹数、乗客数のいずれの数値も急速に伸びていることがわかる。(井奥成彦)
表1-4-5-3 港区域における馬車数の変遷
注1)n/aはもとになった史料にその欄がないことを示す。
注2)明治13~15年は原史料では「麻布区」の欄が2つあるが、一方は「芝区」の誤りと思われるので、ここでは芝区として掲載した。
東京府『東京府統計書』(1884、1885、1886、1887年2月・10月、1888、1889、1890、1892)をもとに作成
図1-4-5-3 馬車鉄道と新橋駅(明治20年〈1887〉頃)
東京府編『東京府史』行政篇4(1936) 国立国会図書館デジタルコレクションから転載
表1-4-5-4 東京府内馬車鉄道の車両数、馬匹数、乗客数、営業距離の変遷
注)営業距離は、小数点以下切り捨て。
東京都編『東京馬車鉄道』(東京都、1989)、営業距離は東京都・東京都公文書館編『都史資料集成』3(東京市街鉄道)解説をもとに作成。