図1-5-1-2 健康に関する中央地方の行政機関
小島和貴『長与専斎と内務省の衛生行政』(慶應義塾大学出版会、2021)から転載
明治一二年(一八七九)のコレラはその年の一〇月以降終息し始める。コレラの被害を二度経験した明治政府は今後、住民の健康は国家の重大事であるとの認識に立ち、先の中央衛生会を恒久機関として、さらに地方長官の衛生に関する諮問をするべく地方衛生会を新設した。これらの機関は、内務卿や地方長官が事務を処理するために諮問に応えるためのスタッフ組織であった。一方、中央には健康のための行政組織として内務省衛生局が設置されていたが、地方にはそうした組織が未整備であったことから、府県に衛生課、町村には衛生委員を設置することが決まる。明治一二年の暮れのことであった。その結果、東京府には衛生課、芝・麻布・赤坂の港区域には衛生委員が設置されたのである。健康のための行政機関を中央地方関係のなかで図示すれば、図1-5-1-2のとおりである。内務省の意向は地方長官、芝・麻布・赤坂の各区長、そして各区に設置された衛生委員を通じて住民に届けられることとなっていた。衛生委員はまさに住民とじかに接する第一線の行政機関であった。この衛生委員が住民と直接接するなかでその「健康保護」の実現が目指されたのである。
衛生委員に期待される活動は、以下のような事柄であった。
町村衛生事務条項(明治一二年一二月二七日)抜粋(内閣記録局編 一八九一)
第四条 飲水、氷、牛乳ノ善悪其他飲料ノ腐敗贋造(がんぞう)等ニ注意スル事
第八条 虎列剌(コレラ)、腸窒扶私(チフス)、発疹窒扶私、痘瘡、麻疹、実扶的里亜(ジフテリア)、赤痢等伝染病アリテ医師ヨリ申出ルトキ
ハ直ニ之ヲ郡区長ニ通知シ速ニ予防法ニ取掛ル事
家畜伝染病流行スルトキ之ヲ郡区長ニ通知シ適当ノ予防法ヲ為ス事
第九条 (前略)人家稠密ノ町村ニ於テハ避病院ノ場所ヲ見定メ患者死者取扱ノ当否ニ注意シ患者ノ出入全治
死亡等ヲ日々郡区長ニ申出ル事
第十条 町村内ノ未タ種痘セサル者ヲ取調普ク種痘セシムル様尽力スル事
痘瘡流行ノ時ニハ説諭シテ再三種ヲ促カス事
町村内ノ医師ヨリ出タセル種痘ノ統計表ヲ取纏メ毎期之ヲ郡区長ニ差出ス事
第十四条 衣食住其他習俗ノ健康ヲ害スヘキモノニ注意シ郡区長ニ通知シテ改良ノ見込ヲ立ル事
飲み水や氷、牛乳など飲料の腐敗・贋造が住民生活に浸透しないよう注意し、コレラなど感染症対策を行い、種痘の普及を図り、健康に害あると思われる習俗の改良に従事することなどが衛生委員に求められた業務であった。また、各区長の指示のもと、伝染病対策など「健康保護」に従事することも衛生委員には期待されていたのである。
明治政府の決定を受けて、翌年の明治一三年三月一二日、東京府は布達甲第一八号をもって区町村に衛生委員を置くこととし、同年五月一四日には甲第五〇号をもって区町村衛生委員設置方、同選挙法そしてその事務章程を布達する。甲第五〇号では、各区の人口に応じて設置すべき衛生委員の人数が定められ、その人口が二万人未満=三人、二万人以上四万人未満=四人、四万人以上六万人未満=五人、六万人以上八万人未満=六人、八万人以上=七人であった。選挙法では衛生委員として選出される者および選出する者は満二〇歳以上の男性であって各区に本籍・住所を有する者であった。ただし、以下の者は選挙人・被選挙人の資格は認められなかった。
区町村衛生委員選挙法(内閣記録局編 一八九一)
第一款 瘋癲白痴ノ者
第二款 懲役並禁獄一年以上実決ノ刑ニ処セラレタル者但満期後七年ヲ経タル者ハ此限ニ非ス
第三款 身代限ノ処分ヲ受ケ負債ノ弁償ヲ終ヘサル者
選挙の投票は会場において区長より付与される用紙に被選挙人の住所、姓名を記し、区長に提出するとされていた。府知事は当選者が不適当であると判断される場合には改選を求めることができた。選挙の会場や選挙の日程は区長の判断に依った。
港区域でも東京府の規定に従い、芝・麻布・赤坂の各区において衛生委員の選出が進められた。各区では、委員の任期などを決めるため、「衛生委員任期及ヒ俸給規則」に見るような定めを置き、それぞれの区の事情を反映したものとなった。港区域でのこの規則の制定事情は、赤坂区が明治一三年六月一〇日、芝区が同一九日、麻布区が同二二日であった。赤坂区では、臨時に区会を開催し、以下のとおり決議された(「回議録・第12類・区町村臨時会聯合会決議書・丙〈庶務課〉一月~六月」)。
・ 衛生委員の定員は四名とする。
・ 衛生委員給与の金額は区内協議費より支弁するものとする。ただし、その金額は本年前期通常会に於いて決定する。
・ 衛生委員の任期は満一か年とする。ただし、改選の節は前任の者を再選することを得。
芝区では明治一三年六月一九日、当区衛生委員について以下の事項を東京府に報告している(「回議録・第12類・区町村臨時会聯合会決議書・丙〈庶務課〉一月~六月」)。
・ 衛生委員六名を選定し、内三名は開業医中より選出する。
・ 衛生委員は俸給なし。ただし、事務の労逸により区内協議費を以て、一か年金一二〇円以内六〇円以上の慰労金を贈付する。
・ 慰労金の多寡は区長が決定する。
・ 委員の任期は四年とし、二年ごとにその半数を改選する。
・ 前任の者を再選することを得。
そして麻布区では明治一三年六月二二日、衛生委員をめぐる規則を決定した(「回議録・第12類・区町村臨時会聯合会決議書・丙〈庶務課〉一月~六月」)。
・ 衛生委員の任期は二年として一年ごとにその半数を改選する。
・ 前任の者を再選することを得。
・ 衛生委員は俸給なし。ただし、事務の労逸により区内協議費を以て、一人につき一か年金一〇〇円以下の慰労金を贈付する。
・ 慰労金の多寡は区長が決定する。
以後、各区では、東京府衛生委員選挙規則そして各区の衛生委員給料および任期規則に基づき衛生委員の選出がなされる。なお、ここでの規則は適宜改正されたことから、芝区のように衛生委員の人数を増やし、また病気や死亡のため衛生委員が欠員となることが生じ、以後の規則では衛生委員選出の際、当選人と補欠人をあらかじめ選出し、当選人欠員となった際には補欠人を府に届け出ることで衛生委員の人数を確保するといった対応がなされるようになる。
衛生委員に選出されると、区役所に出向き、区長とともに区内の衛生事務を取り扱った。日頃より、道路、井戸、水道、下水・溝渠(こうきょ)、便所、肥溜(こえだめ)・芥溜(ごみだめ)、学校、病院、芝居、温泉場、貸長屋、市場、製造場、畜場、魚干場、墓地、火葬・埋葬場などの場所、構造、清潔に注意し、健康に害ありと判断した際には改良法を考案し区長へ申し出ることとなっていた。
衛生委員は内務省衛生局の政策を住民に届けるための機関として期待されるも、なり手不足などの理由から明治一八年、政府はこの廃止を決定する。そのため港区域でも同委員の選出手続きは必要なくなった。(小島和貴)