港区域でも、この長与の活動に呼応し私立衛生会の活動が開始される。芝区では大日本私立衛生会が発会式を挙行した翌明治一七年、芝区公立桜川小学校内において芝私立衛生会発会式を執り行い、会則を掲げ、活動を開始した。
芝私立衛生会会則(『芝私立衛生会雑誌』)
第一条 本会ノ目的ハ汎ク衛生百般ノ事項ヲ論説談話シ以テ各自ノ健康ヲ保護スルニ在リ
第二条 本会ヲ名ケテ芝私立衛生会ト称ス
第三条 本会会場及ヒ事務所ハ芝区愛宕下町四丁目五番地公立桜川小学校内ニ之ヲ仮設ス
第四条 本会ノ会員タラント欲スル者ハ区ノ内外ヲ問ハス何人タリトモ入会ヲ得ヘシ
第五条 会員ハ親族及朋友ヲ誘引シテ本会ノ演説談話ヲ聴聞セシムルヲ得ヘシ
第六条 入会又ハ退会ヲナサント欲スル者ハ其趣ヲ事務所ヘ申シ送ルヘシ
但シ入会ノ節ハ住所姓名職業年齢ヲ記載シ事務所ヘ出スヘシ又転居ノ節ハ必ス其住所ヲ報道スヘシ
第七条 本会ハ月次集会ヲ開キ衛生上ノ演説談話ヲナシ且衛生ノ要務アレハ之ヲ報道スヘシ
第八条 本会月次集会ハ毎月第一日曜日トシ午後第五時開会同七時閉会ス
但時宜ニヨリ時間ヲ伸縮スルコトアルヘシ
第九条 本会ハ毎年一月総会ヲ開キ前年ノ事務会計ヲ報道スル者トス
第十条 本会ハ総会ニ於テ会員中ヨリ会長副会長各一名幹事八名ヲ公選シ其任期ヲ一ヶ年トス
但シ再選ヲ得ヘシ
第十一条 本会正副会長ハ会務ヲ総理シ幹事ハ庶務会計ヲ分担ス
第十二条 本会会員ハ会費トシテ毎月金拾銭ヲ事務所ヘ納ムヘシ
第十三条 金円或ハ物品ヲ本会ニ寄贈スル者アレハ其姓名ヲ簿冊ニ登録シテ永ク保存スヘシ
第十四条 此規則ハ総会又ハ月次集会ニ於テ改正スルコトアルヘシ
明治十七年六月
芝私立衛生会
会 長 梅田義信
副会長 松山棟庵
幹 事 大橋幸正
竹村公友
田島安太郎
山田忠兵衛
松井忠兵衛
前田耕造
渋谷 養
鈴木重道
副会長に就任した松山は既に見たように大日本私立衛生会の発起人の一人であり、幹事の竹村公友は東京府の吏員で、衛生事務を担当していた。大日本私立衛生会の「支会」として設立を見た芝私立衛生会が、大日本私立衛生会とも、東京府ともつながりをもって運営が予定されていたことが明らかとなる。そして本会が内務省とも気脈を通じていたことの証左として当日は長与専斎内務省衛生局長も臨席し、一場の演説をもった。
「長与専斎君演説ノ大意」(抜粋)(『芝私立衛生会雑誌』から転載。なお文中の傍線は筆者による)
(前略)該衛生会(大日本私立衛生会―筆者注)ハ青年ノ書生其半ニ居ルト雖トモ本会ハ然ラス大率老成ノ諸君ニシテ其事ノ着実ナルヲ見テ大ニ感スル所アリ嗚呼該衛生会(大日本私立衛生会―筆者注)ハ兎角ニ学説ニ傾キ実地ニ遠カルノ憾アレトモ本会ノ如キハ真ニ実地ノ事業ヲ挙クルニ足ルヘキヲ信ス(中略)衛生ニハ私己衛生ト公衆衛生トノ二アリ(中略)劇烈ナル伝染病流行スルニ当テハ縦ヒ私己衛生ヲ固守スルモ衆人之ヲ守ラサルトキハ忽チ伝播シテ惨毒ヲ一都府内ニ流スニ至ルコト之アレハナリ蓋シ之ヲ公衆衛生ノ大切ナル一例トス
長与は大日本私立衛生会の「発会祝詞」でも住民の健康を実現する術として「各自衛生」と「公衆衛生」に触れたが、この芝私立衛生会の発会にあたっても「私己衛生」と「公衆衛生」を取り上げ、明治以前より取り組まれた「養生」に見える行いに加え、国家による住民の健康管理を進めるべく「公衆衛生」の意義を取り上げた。そしてとにかく健康増進のためには「実地ノ事業」が重要とした。「私己衛生」の限界を補う「公衆衛生」を進めるべく、芝私立衛生会の活動に長与は期待したのであった。
一方、幹事の鈴木重道も呼応し、芝私立衛生会の発会に際しての祝詞を述べる。
「芝私立衛生会発会ノ祝詞」 明治十七年七月二十七日(『芝私立衛生会雑誌』から転載。なお文中の傍線は筆者による)
幹事 鈴木重道
(前略)衛生法ハ自ラ分レテ公衆衛生、各自衛生ノ二トナル公衆衛生トハ上下貴賎老若男女ノ区別ナク一般ニ住居、家屋、職業、生計ノ状態、食物、飲水、空気、小学校、職工場、鉱山、製造所、田畑、病院、貧院、癲狂院、牢舎、船舶、兵営、植民地ノ衛生法ヲ論スルモノナリ各自衛生トハ各人皆ナ行ヒ且ツ守リ得ヘキ一般ノ通則ヲ云フモノニシテ即チ人々純粋ノ空気及飲水ヲ充分ニ得テ完全ナル家屋ニ居リ適当ノ職業ニ就キ常々清潔ノ習慣ヲ守リ諸事ヲ節行シ適当ノ衣服ヲ着ケ充分ノ滋養食物ヲ取ル等各人一般ニ通用シ得ヘキノ法ヲ講スルモノナリ又各人一般ニ通用シ能ハサルモ某人ニ適用スヘキノ法則アリ之レ又各自衛生ニ属スルモノナリ(中略)以上挙クル処ハ唯衛生法ノ大綱領ニシテ故ヨリ精細ナル論ニアラサレトモ必竟本会ノ目的トスル所ハ以上ノ大要ヲ実施シ其成績ヲ各人ニ頒布シ以テ諸君ト共ニ健康万福ヲ得ントスルニ外ナラサレハ諸君モ亦協力シテ本会ヲ隆盛ナラシメンコトヲ希望ス
鈴木も衛生の取り組みをこの「支会」を通じていかに「実施」することができるかが重要とした。
芝区からやや遅れて麻布区も私立衛生会の活動を開始する。これを「麻布衛生会」といった。大日本私立衛生会の「支会」の名称は統一されていたわけではなかった。同会の設立経緯は以下のとおりである。
一 明治十九年二月神田良邦君、植村市十郎君其他当区会議員諸氏ト相謀リ始メテ本会ヲ創起スル旨意書ヲ頒ツ
一 同三月二十二日会員相談会ヲ開キ規則ヲ議定シ幹事五名(神田良邦君、林眞鉄君、井関圭三君、杉田玄端君、植村市十郎君)ヲ投票選挙ス
一 同三月二十八日第一回講談会ヲ開キ爾後毎月之レヲ開ク(『麻布衛生会雑誌』)
麻布衛生会の会員には長与の腹心として名をはせていた後藤新平も会員であった。そして大日本私立衛生会での活動が目覚ましかったことから、「支会」ではその活動報告をなすことで、相互の連携が図られていた(『麻布衛生会雑誌』)。
麻布衛生会会員ナル後藤新平君(大日本私立衛生会幹事)ハ先頃大日本私立衛生会ニ於テ地方衛生ノ概況ト云フ題ニテ近来衛生事業大ニ歩ヲ進メ(中略)進歩ノ所以タルヤ各地方ノ衛生会続々相起リ従テ此会ニ従事スル者モ医師ノミニ限ラズ他ノ人々モ之レニ関渉シ殊ニ尽力スルヲ以テ之ヲ推測スレバ衛生ノ必要ナルコトヲ感ゼシナラン云々トノ主意ヲ述ベラレタリ(中略)又去月二十六日同会ニ於テ長与同会副長モ内国衛生上ノ景況ヲ演述サレタリ事毎ニ確実ニシテ衛生上頗ル有益満場歓喜ノ色ニ見受ケタリ
加えて麻布衛生会の活動からは、「支会」が担当区域のみに注目して活動していたわけではなく、他の地区の「支会」とも連携をとっていたことが判明する(『麻布衛生会雑誌』)。
今般浅草区衛生会会員大槻修二君ヨリ当府下各区ニ設置セル衛生会ヨリ一名若クハ両三名ノ委員ヲ出シ従来施行シタル件ニシテ他ニ利益アリト認ムルモノハ互ニ之ヲ交換シ尚将来ニ於ケル事ヲモ相交通シ置クトキハ其利益少ナカラザルヘシトノコトヲ後藤新平君ニ相談セラレシカバ同君ハ之レヲ賛成シ其尽力ニ依テ六月二十六日午后四時ヨリ大日本私立衛生会事務所ヲ借受ケ各区ヨリ委員ヲ派出シ我カ麻布衛生会ヨリハ委員トシテ幹事澄川恭民君、日本橋区ヨリハ立花晋君、京橋区ヨリハ佐藤保君、葛目猪太郎君、深川区ヨリハ原履信君、四ツ谷区ヨリハ鈴木宗玄君、麴町区ヨリハ雨宮綾太郎君、下谷区ヨリハ古川筆造君、其他数名臨場サレ種々協議ノ末一ツノ規則草案ヲ編成スルコト及ヒ各衛生会ニ於テ賛成スルヤ否ヤ后会迄ニ通知スルコトニ決シ同時各散会セリ
芝区や麻布区に見えるように、長与の掲げる感染症対策などに対する住民の理解を進めようとする活動が港区域では実践されていたのである。 (小島和貴)