歩兵第三連隊

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 「歩三」あるいは、「麻布三連隊」として知られる歩兵第三連隊も港区域に衛戍地(えいじゅち)を定めている(図1-7-2-2)。明治六年(一八七三)の六鎮台体制の整備によって、全国に一四の師管が設置され、師管に連隊が置かれたことはすでに述べた。つまり、歩兵第一連隊から第一四連隊までが日本で最初に設置された歩兵連隊ということになる。ただし、歩兵第三連隊が「麻布三連隊」となるまでには、いささかの時間を要した。
 明治七年一一月、歩兵第三連隊の編制が命ぜられ、東京鎮台第一番・二番大隊をもって歩兵第三連隊が編制された。第一大隊は山下門内(東京都千代田区内幸町一丁目)に兵営を設置し、連隊本部もここに置かれた。なお、第二大隊は新発田(新潟県新発田市)に移転して分営を設置した。さらに、明治八年二月に第三大隊が編制されると、第一大隊が高崎に、第二大隊が新発田に、そして第三大隊が山下門内にそれぞれ兵営を設置した。
 その後、同年四月には連隊本部が高崎に移転するなど、歩兵第三連隊は東京を離れる。歩兵第三連隊が東京に戻ってくるのは明治一七年五月のことであり、連隊本部が呉服橋門内の第三大隊の兵営に置かれた。同年に高崎に歩兵第一五連隊が、新発田に歩兵第一六連隊がそれぞれ新設されると、高崎の第一大隊は歩兵第一五連隊に、新発田の第二大隊は歩兵第一六連隊にそれぞれ編入され、東京で新たに第一・第二大隊が編制された。明治二二年一月に、歩兵第三連隊は麻布龍土町の宇和島藩上屋敷跡(現在の国立新美術館および政策研究大学院大学、六本木七丁目)に新設された兵営に連隊本部および全部隊が移転した。これにより、「麻布三連隊」として歩兵第三連隊は定着するのである(帝国聯隊史刊行会編 一九一七)。  (門松秀樹)
 

図1-7-2-2 歩兵第三連隊の大正期と昭和期の兵舎

「旧兵営」は関東大震災で焼失、「新兵営」は国立新美術館に一部現存。
帝国在郷軍人会本部編『歩兵第三聯隊史』(1929) 防衛研究所戦史研究センター所蔵