近衛歩兵連隊は鎮台の歩兵連隊が三個大隊で編制されたのに対して二個大隊での編制であったが、明治三二年一二月に一般の歩兵連隊と同様の三個大隊編制に改めている。
日本陸軍における歩兵連隊は、鎮台における師管、あるいは師団制への移行後の連隊区を単位として徴兵検査と兵員の補充が行われた。すなわち、連隊の衛戍地の周辺地域の出身者が入営することから、「郷土連隊」とも呼ばれることがある。これに対して、天皇の親衛兵である近衛歩兵は、特定の師管・連隊区からの徴兵によって編制されるのではなく、全国各地の歩兵連隊から優秀な兵を選抜して近衛歩兵に充てた。儀仗兵(ぎじょうへい)として天皇に供奉(ぐぶ)する任務も負うため、眉目秀麗な人物が選ばれ、近衛兵となることは郷土の名誉とされたという。
なお、本書における兵事・軍事の各節では、港区域に駐屯した歩兵第一連隊および第三連隊については、「郷土連隊」としての性格から各戦役等における動員状況について略述しているが、近衛歩兵第三連隊については「郷土連隊」としての性格を有していないため、動員状況などについては触れない。これは、昭和一四年に麻布龍土町の歩兵第三連隊駐屯地において編制された近衛歩兵第五連隊についても同様としたい。
図1-7-4-2 近衛歩兵第三連隊の営門(明治40年〈1907〉)
田山録弥『東京写真帖』(日本葉書会、1907)から転載
協力:博文館新社