戦前・戦中の日本においては、兵役は国民の義務とされていた。「国民皆兵」とも言われていたが、成人男子全員が必ず兵となったわけではない。兵役とは、兵として入営することだけでなく、戦争などの非常時となった際に、臨時召集令状、いわゆる「赤紙」による動員に応じる義務までを含む(三章七節二項コラム参照)。
明治六年(一八七三)の徴兵令においては、陸軍を「常備軍」・「後備軍」・「国民軍」の三種類に大別していた。「常備軍」は、その年に満二〇歳となって徴兵検査を受けた者から抽選によって選抜され、入営した者を指す。「常備軍」の兵役期間は三年間と定められていたが、平時においては、成績や勤務態度が優良であれば二年間に短縮されることもあった。「後備軍」は「第一後備軍」と「第二後備軍」から成り、「第一後備軍」とは「常備軍」の兵役を終えた後の二年間を、「第二後備軍」とは、さらに「第一後備軍」の兵役を終えたあとの二年間を指す。戦時となった場合は、戦時編制となり部隊の規模を拡大するため、不足する人員を「第一後備軍」、「第二後備軍」の順序で召集する。「国民軍」とは、「常備軍」・「後備軍」以外の満一七歳から満四〇歳までの男子全員を指す。戦時の動員が「第二後備軍」まで動員しても不足する場合に召集の対象となるのである。
なお、兵役におけるそれぞれの期間や名称は徴兵令の改正などが行われることで、時代によって変わっていく。例えば、明治二二年の徴兵令の改正によって「常備軍」・「後備軍」・「国民軍」の名称が「常備役」・「後備役」・「国民兵役」にそれぞれ改められ、「常備役」は「現役」と「予備役」に区分された。「現役」は、陸軍が三年間、海軍が四年間とされ、「現役」を終えると「予備役」となった。「予備役」は、陸軍を四年間、海軍を三年間として、「常備役」の合計が陸海軍ともに七年間となるように配分されていた。「現役」・「予備役」の「常備兵役」を終えると五年間の「後備役」となる。「常備役」や「後備役」でない満一七歳から満四〇歳までの男子全員が「国民兵役」となる点は、「国民軍」の要件と変わらない。なお、徴兵検査に合格したが抽選の結果で「現役」に就かなかった者を一年間の「予備徴員」として、「現役」に欠員が生じた場合や戦時動員が行われる場合に「現役」として徴集することも定められた。「予備徴員」が一年間の期間内に徴集されなかった場合、「国民兵役」に編入される。ちなみに、法令上は、「現役」として入営する場合を「徴集」、「予備役」や「後備役」、「国民兵役」から入営する場合を「召集」としている。
「徴兵令」は昭和二年(一九二七)に制定された法律第四七号「兵役法」によって廃止となる。日中戦争やアジア・太平洋戦争当時における兵役の規定は、この「兵役法」によって定められた。アジア・太平洋戦争の戦局が悪化した昭和一八年に改正された「兵役法」では、「常備兵役」、「補充兵役」、「国民兵役」となり、「補充兵役」および「国民兵役」はそれぞれ第一と第二の区分があった。それぞれの期間は、「現役」は陸軍が二年間、海軍が三年間、「予備役」は陸軍が一五年四か月間、海軍が一二年間とされ、「補充兵役」は第一・第二ともに一七年四か月間とされた。「補充兵役」は徴兵検査に合格したが徴集されなかった者が対象となり、徴兵検査の結果によって第一と第二の選別が行われた。「第一国民兵役」は、「常備兵役」と「補充兵役」の終了者が対象となり、「第二国民兵役」はそれ以外の者すべてを対象とした。なお、昭和一八年の改正により、「国民兵役」の対象は満四〇歳から満四五歳となる年の三月三一日までに拡大されている。
兵役の期間は、最も狭義に「現役」を考えた場合は二年間ないし三年間だが、最も広義に「国民兵役」を考えるのであれば、満一七歳から満四〇歳(昭和一八年以降は兵役法改正により満四五歳)までの二三年間(二八年間)となる。「国民兵役」までを考えると、兵役の期間はかなりの長期に及ぶものであった。 (門松秀樹)