市区改正事業と芝区南部への市街地拡大

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 市区改正事業により、新橋―品川間の東海道、桜田門―五反田間の桜田通りなど芝区内の道路は著しく改良され、街区の形態が整備された(『芝区誌』一九三八)。大正期に環状運転を開始した現在のJR山手線は、明治期は東京市の行政区域の外側を通っているが、この山手線の外側では品川と川崎大師を結んだ大師電気鉄道(現在の京浜急行電鉄の前身)をはじめとする郊外電車網が整備された。一方、山手線の内側では市街電車網が上野、新橋、品川の各鉄道駅を中心に形成された。明治三六年(一九〇三)八月、東京電車鉄道が東京初の路面電車を新橋―品川間で開業、同年一一月には上野まで延伸した。同年、東京市街鉄道が新橋―半蔵門間、東京電気鉄道が土橋―虎ノ門間で開業した。これらの市街鉄道三社は芝区の新橋駅周辺を起点として東京各地に路線延長を図ったが、路線競合や運賃値上げ問題が生じたため、三社は経営統合を経て明治四四年東京市電気局設置により東京市営電車となった。
 この市街電車網などの交通整備により、芝浦など工場街に勤務する工場労働者が芝区内に多く居住するようになった。また上水道整備によって台地上の居住環境が向上したこともあり、江戸市街地南端部に位置していた芝区南部の高輪、二本榎、白金などの地域にも、明治末から市街化が波及して華族、代議士、実業家の邸宅などが増加した。  (福沢真一)