皇宮地や青山練兵場など軍事施設の集まる赤坂区は、一五間幅の一等道路として整備された皇居外周の外堀通り(紀伊国坂~溜池~芝桜田久保町~新橋駅)、一二間幅の二等道路として整備された大山街道(赤坂門外~宮益橋)、など、一〇間幅の三等道路として整備された現在の外苑東通りなど、市区改正事業の対象となった道路が多かった。
江戸城赤坂御門を起点として赤坂・青山台地の尾根を通る大山街道(矢倉沢往還、厚木街道)は東海道など五街道に次ぐ重要な脇街道であり、現在の青山通り(国道二四六号の三宅坂、赤坂見附~渋谷の区間。東京メトロ銀座線、半蔵門線が地下を通る)とほぼ同じルートである。市区改正事業による大山街道拡幅は、青山における土地利用を大きく変化させた。大山街道沿いの梅窓院(南青山二丁目)は、当地に広大な下屋敷を拝領した青山家(尼崎藩、郡上藩など)の菩提寺であり、寛永二〇年(一六四三)建立当時は壮麗な一大伽藍を有し、街道沿いには門前町屋を構えていた。明治維新後、寺社地の収公や廃仏毀釈で周辺の芝増上寺などの寺領が激減する一方で、梅窓院寺領に大きな変化はなかった。大名屋敷地が閑散とする青山にあって、梅窓院周辺には商店や人家が集中していたが、市区改正事業による大山街道拡幅により梅窓院は門前地を失い、寺領は建立当時の約一万三〇〇〇坪から六〇〇〇坪に減少した。拡幅された大山街道には、明治三七年(一九〇四)に赤坂区初の市街電車となる東京電気鉄道青山線が開業(三宅坂~赤坂見附~青山三丁目)、以降赤坂区内での市区改正道路への市街電車延伸が続いた(『赤坂区史』一九四一)。
図2-1-3-1 青山御所
主婦之友社編『大東京名所繪はがき集』(1932) 東京都立中央図書館所蔵