区役所と区長

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 市制施行当初、各区役所には庶務、収税、出納の三課が置かれた。市制特例の廃止後、明治三二年(一八九九)に庶務、戸籍、兵事、衛生、税務、出納の六掛体制となり、明治三九年七月四日水道掛が増設され、一〇月一三日に出納掛は会計掛に改称された(『芝区誌』一九三八、『麻布区史』一九四一、『赤坂区史』一九四一)。
 表2-2-1-1は、市制特例廃止直前、明治三一年九月の芝区役所の職員数を示したものであるが、この時点での芝区役所は、庶務・戸籍・収税・出納・衛生の五つの掛から構成されており、総勢六〇名、戸籍掛に最も多くの人員が配置されていたことがわかる。表1-2-2-2に比べて職員数は二四名増加しており、業務が増えていったことがうかがえる。
 表2-2-1-2は、市制施行から第一次世界大戦期までの芝・麻布・赤坂三区の歴代区長である。この時期の区長はいずれも府庁・市役所の官公吏だが、在任期間が比較的長いことが注目される。
 芝区では、日清・日露戦争をまたぐ時期に川崎実が一三年間務め、麻布区では、市制施行と同時に区長となった村木義方が九年間、芝区から転じた長岡往来が七年間、明治末から第一次世界大戦期にかけて平林政博が七年間在職している。特筆すべきは赤坂区で、市制施行から大正二年(一九一三)まで、二四年にわたり近藤政利(図2-2-1-1)が区長の職にあった。退職に際し、新聞では在職二五年は「未曾有」のこととして報じている(『東京朝日新聞』大正三年七月八日付)。近藤は大正二年四月にこの功績により藍綬褒章を受章した(『東京朝日新聞』大正二年五月三日付)。麻布区会では、村木、長岡の転任に際して留任を求める決議をしており(『麻布区史』一九四一)、区長在任の長期化は、区長と区の有力住民の間に一定のつながりを生じさせたようである。
 

表2-2-1-1 明治31年(1898)の芝区役所職員数
「肥塚知事管内巡回書類」(「東京府文書」東京都公文書館所蔵 604.A4.11)をもとに作成

表2-2-1-2 市制施行から第一次世界大戦期の三区区長
『芝区誌』(1941)、『麻布区史』(1938)、『赤坂区史』(1941)をもとに作成

図2-2-1-1 近藤政利
『赤坂区史』(1941)から転載