港区域内の諸学校

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 以上のように各学校令の公布と改正を経て、近代教育制度の基本的なかたちが整えられたのは明治三〇年代であった。当時の港区域内の諸学校について、まとめたものが表2-3-2-1である。
 
 表中の諸学校のうち官立の学校が陸軍大学校である。陸軍大学校は陸軍の参謀将校を養成する機関で明治一六年(一八八三)に開設され、参謀本部内に置かれた。翌年に和田倉門内(現在の東京都千代田区丸の内)に移り、明治二四年青山北町(現在の北青山一丁目)に移転した。修業年限三年で、昭和二〇年(一九四五)の終戦まで存在している。
 私立学校では、医学を教授する東京慈恵医院医学専門学校や獣医学を教授する麻布獣医学校など、特色ある学校が存在した。
 ほかにも、多くの私立学校が中等教育機関としての機能を果たしていた。その多くは現在もなお教育機関としての役割を果たしており、さらにそのほとんどが移転することなく、港区内で教育の中心的役割を担い続けている。なかでも、中等学校としての認可を受けていた港区域内の中学校は、正則中学校、芝中学校、攻玉社中学校、高輪中学校、麻布中学校の五校、高等女学校は東京高等女学校の一校である。
 

表2-3-2-1 明治38年(1905)港区内諸学校施設
東京市市史編纂係編『東京案内 上巻』(裳華房、1907)をもとに作成