明治三六年(一九〇三)に勅令第六一号「専門学校令」が公布された。中等教育制度が整い、専門学校への進学者も多くなり、高等教育機関を整備するために専門学校を統一的な規定によって扱う必要があった。専門学校令では「高等ノ学術技芸ヲ教授スル学校ハ専門学校トス」とのみ規定され、各学校において規程を定め、文部大臣が認可することとした。同年、勅令第六二号「実業学校令中改正加除ノ件」が改正され、実業学校のなかで程度の高い学校を実業専門学校とし、「専門学校令」の規定に従うこととした。
東京慈恵医院医学専門学校は、明治一四年に京橋区に設立され、明治二三年に芝区愛宕町(現在の西新橋三丁目)に校舎を移転している。明治三六年に専門学校としての認可を受け、明治三八年には文部省の指定学校として、卒業生には無試験で医術開業免状が与えられた。
慶應義塾では、明治二三年に高等教育を行う機関として文学科、理財科、法律科を置いた大学部を新設し、従来の教育課程(正科と別科)を普通部としていた。そして、明治三七年大学部(予科二年、本科三年)が、専門学校令に基づく専門学校としての認可を受けた。大学部は、明治三七年に、専門学校令に基づく専門学校として認可されている。
明治学院では、先述した「訓令第一二号」に対応するために、普通学部の進学先としての高等学部設置を実施し明治三六年に専門学校として認可されている。 (野村 和)