青年会の組織化

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 一九一〇年代に入ると、青年会の組織化が急速に進む。字(あざ)ごとに組織されていた青年会はこの時期、町村や郡の単位で統合されていく。郡部や地方では、通俗教育の担い手として教育会より注目されていた青年会だが、東京府では一九一〇年代前半までは積極的に青年会に働きかけていなかった。
 麻布区では、一九一〇年代に入ってから麻布青年会が設立され、年に数回の講演会や役員懇談会、年に一回の総会が開催されていたが、百数十名の会員の年齢層は高かった。そこで、大正六年(一九一七)一〇月三一日の総会で規則を修正し、正会員を二〇歳未満として、二〇歳以上の者は特別会員として扱われることになった。麻布区青年会と改称された組織は、各小学校に支部を置き、講話会や学力向上のための補講、遠足会等の事業に取り組んでいる。こうした動きの背景は、社会教育行政が青年および青年教育の組織化を重要視したことにある。明治中期より、各地に発生した青年組織としての青年会と青年による自発的な学習活動が行われた夜学会に着目していた内務省は明治三八年(一九〇五)に、「地方青年団向上発達ニ関スル件」の通牒を発する。また、文部省も同年一二月に、「青年団ニ関スル件」の通牒を発している。大正四年(一九一五)に内務省と文部省の両省による青年団に関する第一次訓令「青年団体ノ指導発達ニ関スル件」を契機として、全国的に画一的で統一的な青年団の組織化が進み、青年団の官製化につながっていくことになる。  (野村 和)