港区域には青物市場と魚市場がそれぞれ二か所存在していた。芝区本芝四丁目(現在の芝四~五丁目)と赤坂区青山南町四丁目に置かれた青物市場は組合員がそれぞれ三名、五名で取扱量も少なかった。また、魚市場は、本芝魚市場と金杉魚市場の二か所であった。明治三四年(一九〇一)の売買高は両者ともに三から四万円程度で、日本橋魚市場の七〇〇万円と比較しても一パーセントに満たない水準であった(明治三三年までは日本橋の取り扱いは三〇〇万円程度)。また、牛などの家畜市場として日本家畜市場も芝区白金今里町にあった。 (高柳友彦)