日本赤十字社

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 日本赤十字社はその本部を明治一九年(一八八六)以来、麴町区飯田町に置いたが、同四四年、芝公園五号地に新築移転した。
 日本に赤十字の活動を紹介し、これの実現のために尽力したのが佐野常民である。佐野は幼少期より勉学優秀で知られ、緒方洪庵や伊東玄朴の薫陶を受け蘭学や医学に触れ、さらに長崎海軍伝習所では航海や造船の技術を学んだ。慶応三年(一八六七)、佐賀藩よりパリ万国博覧会への出席を命じられたことで現地の赤十字展示館を見て回り、赤十字の活動を知る。
 赤十字の活動はパリ万国博覧会の数年前から始められ、戦時には敵・味方関係なく傷病者の救護につとめることを旨とする。そしてこの精神を綴ったジュネーブ条約を通じて国際的な機関として知られるようになっていた。
 佐野は欧州にてこの活動に共鳴し、明治一〇年(一八七七)の西南戦争の際には大給恒(おぎゅうゆずる)らとともに日本版の赤十字の活動を実践するべく博愛社を立ち上げ、負傷者の救護にあたる。
 明治一九年、博愛社は明治政府がジュネーブ条約に調印したことから赤十字活動に参加することとなり、翌年五月、宮内省および陸海軍の賛同を得て日本赤十字社と改称した。明治三四年の日本赤十字社条例、同四三年の日本赤十字社令を受けて日本赤十字社は、陸・海軍大臣の監督を受けるようになり、戦時での活動を続ける。平時では大規模な災害時などでの救助活動に従事した。