済生会

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 明治天皇は明治四四年(一九一一)二月一一日、紀元節の日、桂太郎内閣総理大臣に対して、よるべき人をもたない生活困窮者で医薬が与えられないため、天寿を終えることのできない者がいるのを憂慮し、その者に施薬救療して済生の途を広めることを求めた。その後、宮内大臣を通してなされた下賜金を基とし、そして義金を募り、また同年四月の地方長官会議を通じて桂総理大臣が、各長官の協力を求めた結果、済生会設立の理解が得られたことから、これが実現した。済生会の事務所は当初は麴町区大手町内務省内に置かれたが、大正四年(一九一五)一二月、芝区赤羽町一番地(現在の三田一丁目)に病院および事務所が新築され移転した(図2-5-2-2)。
 港区域では、この移転以前では麻布区の麻布診療所、芝区の芝診療所が貧民施療を実践していたが、済生会が同区域に病院を開院したことで、芝診療所は済生会病院附属診療所として再編され、麻布診療所はしばらくすると廃止された。
 済生会病院は港区域に新築されて以降、関東大震災に遭遇すると、罹災者の救助に奔走し、さらに乳児院や産院を運営するなど、人々の健康を実現するべく積極的に活動した。
 

図2-5-2-2 済生会芝病院(大正4年〈1915〉)
東京都済生会中央病院所蔵