明治期の港区域内における火災・災害

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 港区域内においても同様に蒸気ポンプや地下水道などの普及が進んだ。大火は頻度が減ったものの発生し、また自然災害による被害も生じた。例えば、明治二三年(一八九〇)三月五日に三田同朋町(現在の芝五丁目)七番地でカマドの不始末から出火した火災は、付近八八九戸(九五四一坪)を焼く大火事となった。また、明治二五年一二月一二日に芝金杉三丁目(現在の芝一~二丁目)一〇番地から出火した火災も、西南の強風に煽られて付近に延焼し、八六七戸(六五九三坪)を焼く大規模な火災となった。明治二七年四月五日には赤坂新町三丁目(現在の赤坂三・五丁目)一三番地の薪炭商から出火した火災で三五〇戸(四五七六坪)を焼き、消防手一二名が負傷した。
 さらに同年六月二〇日に東京湾北部を震源とした地震が発生し、芝区域内で全半壊ならびに破損家屋は三四五戸、煙突の倒壊一八個、死傷者八人が生じた。赤坂区域内では、家屋、土蔵の破損一六五戸、煙突の倒壊八七個、死傷者一八人を出し、被害は麻布区にも及んだ。これは明治年間(一八六八~一九一二)における東京付近での最大強震であった。
 また、明治三九年八月二四日には、暴風雨による洪水が赤坂区で発生し、中ノ町全部、溜池全部、一ツ木町および新町、南町の一部にわたって、五〇〇戸余りが浸水した。風水害はその後も発生し、明治四三年には八月はじめ以降降り続いた雨で、関東一帯が大洪水に見舞われ、一〇日、一一日に市内の諸河川が氾濫し、芝区八三五戸、麻布区七一一戸、赤坂区六三〇戸の浸水家屋を出した。  (永田尚三)
 

図2-5-4-1 蒸気ポンプ(模型)
東京消防庁消防博物館所蔵

図2-5-4-2 消防本署に配置した輸入蒸気ポンプ
東京消防庁消防博物館所蔵