さらに同年六月二〇日に東京湾北部を震源とした地震が発生し、芝区域内で全半壊ならびに破損家屋は三四五戸、煙突の倒壊一八個、死傷者八人が生じた。赤坂区域内では、家屋、土蔵の破損一六五戸、煙突の倒壊八七個、死傷者一八人を出し、被害は麻布区にも及んだ。これは明治年間(一八六八~一九一二)における東京付近での最大強震であった。
また、明治三九年八月二四日には、暴風雨による洪水が赤坂区で発生し、中ノ町全部、溜池全部、一ツ木町および新町、南町の一部にわたって、五〇〇戸余りが浸水した。風水害はその後も発生し、明治四三年には八月はじめ以降降り続いた雨で、関東一帯が大洪水に見舞われ、一〇日、一一日に市内の諸河川が氾濫し、芝区八三五戸、麻布区七一一戸、赤坂区六三〇戸の浸水家屋を出した。 (永田尚三)
図2-5-4-1 蒸気ポンプ(模型)
東京消防庁消防博物館所蔵
図2-5-4-2 消防本署に配置した輸入蒸気ポンプ
東京消防庁消防博物館所蔵