三区の人口動向と土地利用の特徴

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 港区域を構成していた芝区・麻布区・赤坂区の面積は、芝区八・六一平方キロメートル、麻布区四・二九平方キロメートル、赤坂区四・三平方キロメートルで、合計約一七・二平方キロメートルである。表3―1―1―1は、大正九年(一九二〇)から昭和一〇年(一九三五)までの国勢調査から三区の人口動向を表したものである。この間、港区の人口は三二~三三万人程度を推移していた。大正一二年(一九二三)に発生した関東大震災によって人口はいったん減少したものの、昭和一〇年には大正九年の水準にまで回復している。また、芝区は東京市内一五区のなかでも最大規模の人口を有し、麻布区・赤坂区は人口、面積ともに小規模であった。三区の人口動向には違いがあり、芝区の人口は増加傾向の一方、麻布・赤坂区の人口は減少傾向であった。それら動向の違いは、商工業が発展する芝区と、住宅地域が中心の麻布区・赤坂区の土地利用の性格の違いによるものでもあった。
 芝区・麻布区・赤坂区における土地利用の共通点として、御料地、国有地などの公有地の多さが挙げられる。東京市内一五区では、皇居など関連施設を有する麴町区が公有地の多さで突出した存在であった。芝区・赤坂区は麴町区ほどではないが、公有地が多くとくに皇室関連の御料地が多かった(東京府内の御料地五〇か所のうち、麴町区を筆頭に赤坂、芝、四谷区と続いていた)。
 芝区には御料地一六万坪(〇・五平方キロメートル)、国有地七七万坪(二・五四一平方キロメートル)、赤坂区には御料地二〇万坪(〇・六六平方キロメートル)、国有地五〇万坪(一・六五平方キロメートル)が存在していた。芝区では区の面積の約四割、赤坂区では区の半分が御料地と国有地に占められていた。両区は有租地(ゆうそち)(市・私有地のうち、免租地ではない土地)の割合が四〇パーセント後半と低かった(東京市全体では約五〇パーセント、麴町区は二三パーセント、小石川区、深川区では六・七〇パーセント程度)。一方麻布区は、御料地一万七〇〇〇坪(〇・〇五平方キロメートル)、国有地二一万坪(〇・六三平方キロメートル)で芝区・赤坂区と比べてその割合は低く、私有地の有租地が八五万坪(二・八平方キロメートル)と区内面積の七割を占め、市内で最も有租地の割合が高い地域であった。こうした土地利用も港区域の特徴であり、開発する土地の少なさも後述する埋め立てなど海への進出の要因の一つでもあった。また、皇室の所有であった御料地や資産家の土地は、関東大震災以降、東京市に移管され公園となった場所も多かった。例えば、現在の旧芝離宮恩賜庭園が挙げられる。
 

表3―1―1―1 芝・麻布・赤坂区の人口動向

内閣統計局編『国勢調査報告 昭和10年 第2巻 府県編 東京府』(東京統計協会、1937)をもとに作成