青年団の組織化

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 大正八年(一九一九)に東京市は青年団に関する調査を行い、翌年に東京市連合青年団を創立した。港区域内の青年団は大正九年から同一五年にかけて組織化されている。大正一〇年当時の青年団の状況をみていくと、以下のようになる。
 芝区では、大正八年の調査時に青年団は組織されていなかった。区内の柴井町青年会、本芝青年会、松坂町青年会の三つが存在していたが、東京市連合青年団への加入を契機として分団数を増加させていく。大正一一年には、芝区青年団が青年団として全国で初めての軍事教練を一週間にわたり二〇〇名以上の参加者のもとに行っており、加入分団数や加入人数が三区で最も多くなっていた。関東大震災時には救済や物資配給で功績をあげている。
 麻布区では、東京市連合青年団の編成に促され、すでに区内に十数団あった青年団を糾合して麻布区青年団を発足させた。芝区青年団と同様に、関東大震災に際して交通整理や夜間警備、配給などを請け負っている。
 赤坂区青年団は大正九年に結成され、昭和一六年(一九四一)時点で六つの分団が属している。
 また、女子青年団は処女会などの名称で活動を行っていたが、大正一一年(一九二二)の内務省と文部省両大臣の「女子青年団ニ関スル訓令」により女子青年団の結成が促されることとなった。昭和三年(一九二八)には東京市連合女子青年団が成立し、区内の女子青年団もそれに加入している。