⑩その他

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 方面委員は、各種の出訴請願又は届出の手続きを自身で行うことが困難な者に代わって進めることが期待された。素養が不足し、自己正当の要請を全うすべき術を知らないために、放漫に流れ、あるいはその道を得ずしていたずらに煩労する者が生じることを回避しようとした結果であった。
 このように方面委員は、担当「方面」の住民に対して「徹底的指導者」たらんとした。これら方面委員の活動実績は表3-5-2-2のとおりである。
 ところで生活困窮者への支援制度として活用されてきたのは明治七年の恤救規則であるが、救護法の制定により、それまであいまいであった市町村長の救護の責任が求められるようになる。大正期以降、一部の区で活動が認められた方面委員への期待が一層高まったことで、昭和六年(一九三一)一〇月には東京市で救護法実施準備のための方面委員の講習会が開催される運びとなった。
 この講習会では東京市下に設置された「方面」を各区別に分け、第一組および第二組に組織して別々に講習会を開くこととなり、京橋、四谷、日本橋、麴町とともに赤坂、麻布、芝の各区は第二組に振り分けられ、一〇月二二日(木)より四日間、毎日午後七時から九時まで講習が続けられた。当日は、各区の方面委員に加えて、各区役所の吏員、各区の警察官の参加が求められていた。講習の最終日には茶話会も予定された。
 大正期より活動を開始した東京市の方面委員は、昭和期になると救護法の施行と合わせて一層その活動が期待されるようになり、港区域でも方面事務所とあわせて方面委員の設置が進んだ。芝区には二方面設置されており、第一方面の事務所は芝区仲門前町に置かれ、担当地区は宇田川町、宇田川横町、新銭座町、三島町、神明町、浜松町、仲門前町、片門前町、土手跡町、新網町、南新網町北、湊町、金杉、金杉川口町、金杉浜町、金杉河岸、西應寺町、本芝、本芝入横町、本芝材木町、本芝下町、新堀町、新堀河岸、松本町、芝浦、南浜町、日ノ出町、宮本町、愛宕下町、芝公園地、七軒町、三田四国町であり、第二方面の事務所は芝区白金三光町に置かれ、担当地区は三田老増町、白金志田町、君塚町、二本榎、二本榎本町、二本榎西町、白金台町、白金丹波町、白金猿町、白金三光町、白金今里町、三田豊岡町、三田松坂町、三田小山町、伊皿子町、車町、高輪北町、下高輪町であった。
 麻布区では昭和三年八月に一方面が設置され、麻布区桜田町に事務所を置いた。赤坂区でも昭和七年四月に一方面が設置され、赤坂区青山南町に事務所を置いた。図3-5-2-5は昭和七年度の方面委員取扱件数である。芝区の取扱件数が七万七五四六件であり、麻布、赤坂と比較した際には、その多さがみてとれよう。  (小島和貴)
 

表3-5-2-2 方面委員の各種取り扱い事項の件数
東京市社会局編『東京市方面委員制度』(1924)をもとに作成

図3-5-2-5 昭和7年度(1932)方面委員取り扱い件数
東京市社会局編『東京市方面委員制度要覧』(1933)をもとに作成