昭和期に入ると東京市社会局が主導する牛乳配給活動が増えてくる。東京市の昭和四年(一九二九)の実績を見てみると、四谷、江東橋、富川町、玉姫町および月島の五か所の児童相談所を通して行われた。いずれも実費の四銭での配給であった。これは市価の半額という廉価で、しかも東京市において厳重に審査した「優良品」である。牛乳は栄養価は高いものの管理が難しく、しばしば健康を害する元となったことから、警察の取り締まりの対象ともなっていた。そこで内務省や東京市などでは行政が安全性を担保することで牛乳を普及させ、乳幼児の健康保護につなげようとしていたのである。
以上の五か所の昭和四年度中の配給実績は七五石二斗二升六合であり、一か所一日平均四一合の割であった。配給を受けた実人員は五か所二六五人で、これを延人数にすると三万九千八百七四人となる。一か所一日平均は二一人で、一人一日約二合という割で配給された。東京市の理解では各配給所を通じて一人一合の割で四〇人まで実費配給を行うことができるとなっていたが、母乳が不足する乳児にのみ配給することから、東京市の予定を配給人員が上回らない限りにおいて、家庭の事情によっては無料配給も行うことができていた。ただ、牛乳配給の需要は伸びていたことから東京市は配給所を増設することとし、昭和五年にはこれを実施するに至る(『東京市公報』昭和五年六月七日)。
昭和五年度より四谷児童相談所が閉鎖されたが、先の四か所の外、古石場(ふるいしば)町、押上町、大塚町、龍泉寺町、東榎町、そして港区域では白金三光町(現在の白金三丁目)の各児童相談所でやはり実費で事情によっては無料で「優良牛乳」の配給を行うことになった。
市社会局では以上のほか、昭和五年当時建設中であった猿江(さるえ)町、久堅(ひさかた)町、根津藍染(あいぞめ)町、築地明石町の四か所の児童相談所でも建物完成と同時に牛乳を配給すべく準備していた。また東京市では「優良牛乳無料配給デー」と称して月に一~二回の無料配給を児童相談所を通じて実現できるよう計画も進められた(『東京市公報』昭和五年六月七日)。
こうした行政による牛乳の配給活動に関しては、昭和六年の東京市牛乳供給規程でも確認され、市は市内の居住者で乳児又は幼児のために牛乳を必要とするも、経済的な事情により子らに与えることが困難な者に対して東京市が児童相談所を通じて廉価もしくは無料で供給するとした。この規程により牛乳の供給に関しては、児童相談所が第一線の行政機関となり、市長に申請された。申請書の様式は以下のとおりであり、牛乳の「有料」・「無料」の別が選択された(東京市社会局編 一九三一)。
(様式)
牛乳供給願
本籍 府 市 区 町 丁目
県 郡 町・村 番地
戸主トノ続柄
現住所 区 町 丁目 番地方
世帯主職業 世帯主トノ続柄
乳児又ハ幼児 氏名
年 月 日生
右者今般御市(何々)児童相談所ヨリ牛乳ノ供給相受度(有料、無料)候間御許可相成度此段及御願候也
年 月 日
住所 区 町 丁目 番地
願人 氏名 印
東京市長 殿
ただし無料で牛乳の配給を受けようとする者は、所轄の区長、警察署長もしくは方面委員による「貧困証明書」を添付する必要があったことから、港区域でも各区長や方面委員らが対応することが求められた。また、牛乳の受給を中止しようとする際にはやはり、港区域に設置されていた白金三光町などの児童相談所を経由して市長への申請が求められた。児童相談所ではこのほか児童の発育状態などに鑑(かんが)み、必要と判断される際には子育ての指導などを実施していた。 (小島和貴)