戦間期の産業化進展、社会運動と警察機能の拡大、特高警察

120 ~ 121 / 405ページ
 本項では、第一次世界大戦が終結した大正七年(一九一八)から第二次世界大戦が勃発する昭和一四年(一九三九)までの約二〇年間における日本警察の歴史的展開と、港区域における治安維持機構の関連について述べる。戦間期には、産業化の進展と世界的な労働者階級の台頭を背景に、普通選挙の実現などデモクラシーの大衆化が進行する一方で、社会の矛盾がもたらす労働問題、都市問題、衛生問題などの社会問題が深刻化した。これらの課題に対処して資本主義体制を維持するための改良的な「社会政策」として、工場法、社会保険、労働争議調停、失業救済、都市計画などの政策が実施された。これを反映して、警察機構の新たな分野として衛生警察(衛生法規に基づく取り締まり)、工場警察・労働警察(工場法に基づく労働基準上の取締や労働争議調停など)、建築警察(建築法規に基づく建築物の取り締まり)、人事相談(職業紹介など支援事務)などの担当部局が設けられた。
 大正デモクラシーによる国民の政治・権利意識の高まり、労働運動の高揚や大正七年の米騒動、さらに社会主義、共産主義、無政府主義など急進的、革新的傾向を持つ左翼運動の台頭など、政治・思想運動は激しくなった。これらへの取り締まりは、明治末期に高等警察から独立した特別高等警察(特高警察)が担当したが、ロシア革命を機に左翼運動取り締まりが強化され、大正一四年(一九二五)制定の治安維持法により日本共産党などへの弾圧が行われた。一方で、政党政治の腐敗は国民の政治不信を招き、政治刷新を唱える右翼や軍部によるファシズム運動の台頭をもたらした。昭和七年(一九三二)の政党内閣に反発する海軍急進派などによる五・一五事件を契機に、特高警察は従来手薄となっていた右翼運動取り締まりを強化したが、その対応には限界があり昭和一一年の二・二六事件で陸軍皇道派青年将校らが国家改造を目指して、総理大臣官邸、大蔵大臣官邸、警視庁、政府首脳や重臣の官邸・私邸、朝日新聞社などを襲撃して永田町、三宅坂一帯と日本の政治・軍事の中枢部を占拠するなど、軍部によるクーデターの動きが続発した。