関東大震災による被害

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 このような状況下で大正一二年(一九二三)九月一日午前一一時五八分四四秒に、関東大震災が発生し、死者行方不明者が東京市内で九万四八〇〇余人、東京府全体で死者六万四二〇人、行方不明者三万六六三四人、負傷者三万一〇五一人を出す大惨事となった。家屋の倒壊とともに火災が発生し、記録に残っている限りでは出火件数は一三六件で、火災旋風を引き起こす大規模火災となった。また消防は激震によって各種電話や火災報知器のほとんどが破損し通話不能となり、消防組織間での通信連絡が途絶した。また水道、消火栓のほとんどは断水し、消防水利の大部分を失った。そのような状況下においても、消防隊は極めて限定的な消防力の下で必死の消火活動を行ったが、消防職員消防組員の死者は杉浦第六分署署長以下二二名、負傷者一二四名に及んだ。
 芝区は、一万五七二五戸が何らかの被害を受け、死傷者数は死者二七〇名、負傷者五二三六名、行方不明者一九名に上った。麻布区はその大半が焼失を免れたが、全壊家屋が七二一戸、半壊が九五四戸、破損が六三〇九戸に上った。人的被害としては、男子三名女子六名の圧死者と、多くの重軽傷者を出した。赤坂区は、焼失世帯数が二三二二戸で、男子二名女子三名が家屋の下敷きとなり圧死している。
 

図3-5-5-2 関東大震災で焼失した新橋駅
東京消防庁消防博物館所蔵