関東大震災

141 ~ 141 / 405ページ
 大正一二年(一九二三)九月一日に発生した関東大震災は、正午近くに発生したことや、日本海沿岸の台風の影響で強風が関東地方に吹き込んでいたことなどとも相まって大規模な火災を誘発し、多くの犠牲者を出した。被災地域は、東京府と神奈川県を中心に関東全域と長野県、山梨県、静岡県に及ぶ広範な地域にわたり、死者・行方不明者は一〇万五三八五名に及んだ。
 震災の発生を受け、政府は治安維持のために戒厳令の一部施行を決定し、九月二日に東京市および東京府下の五郡(荏原郡・豊多摩郡・北豊島郡・南足立郡・南葛飾郡)を対象として戒厳令を発令した。翌三日には関東戒厳司令部が設置され、対象地域も東京府・神奈川県の全域に拡大されている(「大正十二年公文備考変災災害附属 巻一」)。
 衛戍地を東京としている第一師団は戒厳司令部のもとで東京の救護・復旧にあたり、芝公園には第一師団による第二救護所が開設され、また、同師団の工兵連隊は隅田川に架かる橋の復旧などにあたった。歩兵第一連隊および第三連隊も警備や救護にあたっており、第一連隊の一隊は三田四国町の日本電気株式会社本社ビル(現在の芝五丁目付近)において倒壊した建物から負傷者一五名を救助している(岩田 一九一五)。
 なお、陸軍各部隊による救助・援護・復旧活動は、九月一一日に関東戒厳司令部から陸軍省の管轄に移され、以後、戒厳司令部は警備・治安にあたることとなった。戒厳令が解除されるのは震災から二か月半余りが経過した一一月一六日のこととなる。  (門松秀樹)