三区の人口動向

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 まず、昭和一五年(一九四〇)の港区域の人口動向から確認してみよう。表4-1-1-1は昭和一五年の港区域とその周辺五区の人口を表したものである。三章一節二項で記したように昭和一〇年には港区域の三区の人口は関東大震災前の人口に回復した。ただその後の人口には大きな変化はなかったものの、三区のうち、赤坂区のみ五パーセントほど人口が減少している。こうした東京市中心部の人口減少は赤坂区だけでなく周辺でも同様な傾向を示していた。表4-1-1-1に挙げた神田区や日本橋区では六パーセント、一〇パーセント減少している。旧市域であった東京一五区全体でも昭和一〇年と比較して〇・六パーセントの増加にとどまっている(昭和一五年の一五区の人口は二二三万三六〇一人であった)。
 一方、港区域に隣接する新市域であった品川区や目黒区では人口が急増している。目黒区では大正一四年(一九二五)に六万三〇一九人であった人口が一五年間で三倍以上に増加している。また、東京市に編入された新市域全体でも昭和一〇年(一九三五)の三六四万八五一四人から昭和一五年には四五四万五二〇三人へと二〇パーセント以上増加している。
 区面積でも港区域の範囲は埋立地が造成されるものの大きな変化はなく、三区あわせて約一七平方キロメートルの範囲であった。一方で、品川区や目黒区はそれぞれ一〇・一六、一四・七三平方キロメートルであり、狭小な旧市域の港区域の人口の定着にも限界が生じていたのである。 
 

表4-1-1-1 昭和15年(1940)時の人口

東京府編『東京府統計書 昭和15年 第1編 土地、人口、其他』(1942)をもとに作成