市街地の様相

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 では、次に港区域の市街地の建築物についてみていこう。表4-1-1-2は、港区域の大正一一年(一九二二)、昭和二年(一九二七)、昭和一〇年の構造別棟数を表したものである。関東大震災前の港区域では木造建築が中心のなか、石造や煉瓦造の建築が増えている。しかし、関東大震災後は、石造、煉瓦造ともに減少・停滞傾向となった。一方、木造建築の棟数は、坪数ともに増加傾向にあった。また、煉瓦造や石造と異なって、震災後、飛躍的に増加したのがコンクリート造であった。木造建築では一棟平均三〇から三五坪程度であったのに対して、コンクリート造は一棟平均三〇〇坪程度と、一建築物あたりの坪数が増加するなど建築物の大規模化が進展していた。
 続いて、表4-1-1-3は、昭和一二年の港区域と周辺区の建物の構造別の棟数などの統計を表したものである。一九三〇年代以降、東京市では高層建築が増加し(当時、高層建築は四階建て以上を指していた)、昭和一二年時点では東京市内に一二二六棟あった。市内の約九割の高層建築が旧市域内にあり(一一二四棟)、とくに銀座・日本橋など古くからの商業地帯を有する京橋区、日本橋区両区に集中している。昭和七年には東京市内で四階建て以上の建築物が六〇七棟、三階建てが五四九八棟に過ぎなかったことからも、東京市内の建築物の高層化が急速に進展していたことがうかがえる。港区域でも、芝区は昭和七年の三二棟から六四棟に増加し、日本橋区、京橋区、麴町区、神田区に次いで五番目の多さであった。高層建築物の用途は多岐に及び、官公庁(四棟)のほか、学校・図書館(一一棟)、銀行(六棟)、工場(一〇棟)、住宅(一九棟)など、幅広かった。一方、麻布区、赤坂区では四階建て以上の建築物がそれぞれ一四棟、八棟とあまり多くなく、平屋や二階建てがほとんどであった。
 表4-1-1-4は、昭和一二年時の港区域の建築物の構造と建築階数との関係を表したものである。上段は各区の建築物の構造と階数との関係を表したものである。表4-1-1-2と同様に木造建築物が大半を占め、コンクリート造が増加している。階数との関係では、土造は平屋が少なく二階建てがほとんどである一方、石造、煉瓦造では平屋のほうが多い傾向にあった。四階建て以上の高層建築物は木造、煉瓦造が一部でみられるものの大半がコンクリート造であったことが確認できる。表4-1-1-4の下段は、それぞれの構造別の延べ床面積を表したものである。上述したように土造や石造は一つの建築物当たりの延べ床面積は小さく、若干、木造、煉瓦造がそれよりも多く、コンクリート造の面積が大きいことがわかる(赤坂区の煉瓦造の延べ床面積の多さは、巨大な建築物が一つあったためと思われる)。建築物の高層化が延べ床面積の拡大をもたらしていた。
 

表4-1-1-2 港区域における構造別建築物数・総床面積(単位:棟、平方メートル)

東京市編『東京市統計年表 第20回』(1924)、同『東京市統計年表 第25回』(1929)、同『東京市統計年表 第33回』(1937)をもとに作成

表4-1-1-3 昭和12年(1937)の階数別建築物数(単位:棟、かっこ内は%)

東京市編『東京市統計年表 第1部一般統計』(1939)をもとに作成

表4-1-1-4 昭和12年(1937)の港区域の構造別建築物

東京市編『東京市統計年表 第1部一般統計』(1939)をもとに作成