一九二〇年代に整備が進められた東京港の一九三〇年代半ばまでの動向についてみていこう。表4-1-2-1は、各年度の『東京市貨物集散調査書』から東京市に集散する総貨物を陸運や海運などの経路別に表したものである。昭和四年(一九二九)の世界恐慌やその後の昭和恐慌の影響を受け、東京市の貨物量は昭和六年時点で昭和四年比七九パーセントまで落ち込んだ。ただ、経路別では内航海運は増加傾向にあり、昭和四年当時に二六パーセント程度であったシェアは、昭和九年には三六パーセントまで上昇した。昭和一〇年以降は、軍需工業化の影響で景気回復も実現するなか(鉱工業生産も恐慌前に回復する)、貨物の取扱量は急増し、昭和四年の水準を超えた。大正九年(一九二〇)時と比較すれば一五年間で内航・外航海運ともに取扱量が倍増したのである。
続いて、表4-1-2-2は、昭和一〇年(一九三五)の内航海運の貨物量において、出向地別に上位五道府県を表したものである。東京港は主に入貨品が入出量の九割近くを占めていた。東京港への貨物が多い道府県は福岡、北海道、山口であった。いずれも産炭地として著名な地域であり、産出される石炭の多くが船で運ばれていたのである。品目別では、石炭が最も多く、続いて米、木材、銑鉄(せんてつ)、砂糖、セメント、洋紙と続いていた。
表4-1-2-1 東京港 内国貿易・外国貿易 輸出入貨物トン数(単位:トン)
東京市編『東京市貨物集散調査書』(1934~1939)をもとに作成
表4-1-2-2 内航関係府県別表(昭和10年〈1935〉、単位:トン)
東京市編『東京市貨物集散調査書』(1939)をもとに作成