続いて、港区域の空襲被害の様相について、東京大空襲・戦災史料センター編『決定版東京空襲写真集』からみていこう。東京市における初めての空襲は昭和一七年(一九四二)四月一八日、いわゆる「ドゥーリットル爆撃」で、牛込区、小石川区、品川区などで被害が出て、死者三九人、負傷者三〇七人を数え、罹災家屋も二五一戸にのぼった。サイパン島陥落以降、B-29による本格的な空襲は昭和一九年一一月二四日以降行われた。表4-1-3-1は、東京での空襲の主な被害地域を一覧としている『決定版東京空襲写真集』の表より、港区域に被害が生じた空襲のみ、年月日と罹災状況をまとめたもので港区域は一三回数えられている。より詳細に見た被害地域の表を別途表4-3-3-1に掲げている(四章三節三項参照)が、そこでは一九回を数えている。
三月一〇日の東京大空襲でも甚大な被害を受けたのは下町地域であったものの、芝区、麻布区、赤坂区でも被害が出ていた。なかでも港区域で多くの犠牲者が出た空襲が、昭和二〇年五月二五日から二六日にかけて起きた「山の手空襲」と呼ばれる空襲であった。昭和二〇年三月一〇日の東京大空襲では下町地域を中心に、約一〇万人が被害を受けている。その後、四月以降は東京の西部での空襲が激しくなり、その際に起きたのが山の手空襲であった。『東京大空襲・戦災誌』三からこの空襲での被害の様相を確認してみよう。
表4-1-3-1 港区域が被害を受けた主な空襲被害一覧
東京大空襲・戦災資料センター編『決定版東京空襲写真集』(勉誠出版、2015)をもとに作成