昭和一四年東京市長視察からみる芝、赤坂、麻布区行政

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 以上の変化をふまえた上で、芝、赤坂、麻布各区行政の戦時下における課題をもう少し具体的にみてみよう。日中戦争下の昭和一四年(一九三九)には、四月に就任した頼母木桂吉(たのもぎけいきち)東京市長が就任後市内各区の視察を行い、各区で懇談会を行った。表4-2-1-4は、頼母木市長が芝、赤坂、麻布各区を視察した際の新聞報道をまとめたものである。五月二五日の芝区視察では、高輪台小学校、御田(みた)小学校、青年団会館への視察ののち、区役所での懇談会で東京港の振興、汐留駅前の塵芥置場撤去、御田小学校の改築など芝区域の地域的課題が話題となっていた。五月三〇日の赤坂区視察では、赤坂小学校、青南小学校への視察ののち、区役所での懇談会で、区域拡張や東京市が所管する青山墓地収入の区への移管などのほか、警防団代表、徴兵慰労会理事、愛国婦人会赤坂区分会会長らが発言を行っている。また区議のなかから「体位向上・低下防止」など戦時下の課題と結び付け、各区に一か所程度市営診療所を設置することも求められていた。六月二九日の麻布区視察では、麻布小学校、三河台小学校、市立光明学校への視察がなされた。このうち市立光明学校は、昭和七年に公立初の肢体不自由教育校として麻布区本村町で開校された。視察後に区役所で実施された懇談会では、狭小道路対策、下水整備、健康相談所の運営改良、授産場新設などの地域的課題のほか、防空対策や戦死者区民葬への市長出席、警防団への市による経費支出などの戦争と関わる課題も提起された。なお各区に共通する行政的課題としては、手数料や墓地収入などの区への移管、区吏員の立場強化や人事の明朗化など、区行政の強化に関わる課題が提起されている点も注目される。
 

表4-2-1-4 昭和14年(1939)頼母木桂吉東京市長の各区視察懇談会

『東京朝日新聞』1939年5月26日朝刊、同5月31日朝刊、同6月30日朝刊(朝日新聞データベース)をもとに作成