日中戦争に先立つ昭和一〇年(一九三五)、一一年には、芝、麻布、赤坂の各区で選挙粛正運動の展開がみられた。この運動は、政友会や民政党などの既成政党が巨額の資金を利用し有権者の動向に影響を及ぼしていると認識した内務省などの官僚層が、選挙違反撲滅や優良議員選出、棄権防止を掲げ地域の諸団体を動員して展開した官製運動であった(源川 二〇〇七)。昭和一〇年一二月には、一八日に芝公会堂(七〇〇名参加)、一九日に麻布区三河台小学校(二五〇名参加)、二一日に赤坂区中之町小学校(一〇〇名参加)など相次いで講演会が開催されたほか、昭和一一年一月一六日には、この三区を含む衆議院東京第一区では、赤坂区青山会館に一二〇〇名を集め、「明朗の暁」「粛選万歳」など教化映画の上映会が実施された。同年にはそのほか、芝区で選挙粛正を訴える街頭行進が行われるなど、各地で座談会や上映会が開催された。
こうしたなかで昭和一一年二月には、第一九回衆議院議員総選挙が実施された。表4-2-2-1は、この総選挙での東京第一区とそこでの芝、麻布、赤坂各区の得票結果をまとめたものである。まず目につくのは、無産政党である社会大衆党の河野密(こうのみつ)が首位で当選している点である。河野は、芝区で得票一位、麻布区・赤坂区で二位を占めていた。この昭和一一年総選挙の結果について、『資料日本現代史 9』に収録された当時の警視庁の調査では、「既成政党ニ対スル不信任ト粛正選挙運動ニ依ル政治的自覚」によるものと評価していた(粟屋・小田部編 一九八四)。芝区では、芝区会議員、議長、東京市会議員の経歴を有する前職の高橋義次が得票二位となり、中小商工業者の保護を主張する川手忠義が得票三位となっていたが、両名は選挙区全体では票が伸びず落選した。先にみた警視庁の調査では、高橋の選挙結果は「東京市会疑獄事件ニ連座シ選挙粛正ト新人ヲ要求スル声トニ人心離反」したためとして、選挙粛正運動が影響していることを指摘している。川手については、「有力ナル後援団体ナク且地盤局部的」としている。麻布区では、同区在住で東京府会議員に二期当選した原玉重が得票一位で、選挙区全体でも三位で当選した。先にみた警視庁の調査では、「前代議士三木武吉ノ地盤ヲ継承シ且同人ノ熱意アル後援ト平素地盤ノ開拓ニ努力セル結果」と、従来からの既成政党人としての地盤の作用を指摘している。赤坂区では、東京帝国大学教授渡辺銕蔵が得票一位、原玉重が三位を占めた。選挙区全体での当選四位の立川太郎は、「牛込区内ノ有力ナル団体」の支持で当選、同じく五位の橋本祐幸は四ツ谷区や麴町区に依拠した「故代議士瀬川光行ノ地盤ヲ継承」し当選したとされる(粟屋・小田部編 一九八四)。以上の選挙結果や警視庁の調査をふまえれば、選挙粛正運動は、この地域では無産政党社会大衆党候補河野の躍進をもたらしたものの、その他の候補では地盤の機能が持続しており、近年の研究でも指摘されるように従来の地域政治秩序を積極的に変えることはなかったと考えられる(櫻井 二〇〇三)。
この総選挙から一年余りの昭和一二年四月には、第二〇回衆議院議員総選挙が実施された。この総選挙は、時の林銑十郎(はやしせんじゅうろう)内閣が帝国議会で予算が成立した直後に行った抜き打ち解散(「食い逃げ解散」)によるものであった。表4-2-2-2は、表4-2-2-1と同様の方法でその結果をまとめたものである。この総選挙でも、前回に続き社会大衆党の河野密がいずれの区でも多くの票を集め一位当選をはたした。各区ごとにみると、芝区では、同区を地盤とする民政元職の高橋義次が前回から二〇〇〇票近く得票数を増やし、選挙区全体の三位で当選した。芝区ではまた中立の新人道家斉一郎(どうけせいいちろう)が得票三位であった。麻布区では、得票一位の河野から得票四位の立川までは前回の総選挙でも得票四位以内であり、前回との連続性がうかがえる。なお五位は道家であった。赤坂区でも、得票五位までの候補中四名は前回の総選挙でも同じく得票五位までに入っており、ここでも連続性が認められる。なお新たに三位に入ったのは、ここでも道家であった。このように新人ながら各区で高得票をしめし当選した道家斉一郎は、専修大学常務理事・経済学部長で、昭和九年(一九三四)に東京市政浄化を掲げ設立され、その後既成政党を批判し選挙粛正を強く推進した東京市政革新同盟の創立以来の会員であった(東京市政革新同盟 一九三七)。以上の選挙結果からは、河野や道家の当選など選挙粛正運動が地域政治に一定の影響を及ぼしつつも、そのほかの候補の得票などにみられるように、従来の地域政治秩序も持続していることが確認される。
表4-2-2-1 昭和11年(1936)衆議院議員総選挙の結果
衆議院事務局編『第十九回衆議院議員総選挙一覧』(1936)をもとに作成
表4-2-2-2 昭和12年(1937)衆議院議員総選挙の結果
衆議院事務局編『第二十回衆議院議員総選挙一覧』(1937)をもとに作成