すでに述べたとおり、戦時下の地域住民組織としては町会(町内会)が存在し、これが行政と地域社会を結ぶ存在となっていた(本章二節参照)。町会は、元々ゴミや屎尿、衛生問題への対応のための団体や、神社の氏子団体を源流とするものが多く、軍事援護を目的に結成されることも多かった。しかし昭和一三年(一九三八)四月、国家総動員法の施行により、資源がすべて政府の管理下に置かれ、物資統制が本格化すると、既存の町会がその統制を担うようになった。その下部組織として隣組がつくられ、昭和一四年八月からは回覧板による「隣組回報」(図4-3-1-1)の回覧も始まり、情報伝達の徹底が図られた。昭和一五年九月、内務省が町会などの下部機構整備を通達し、隣組制度は町会の下部組織として位置付けられた。隣組は、後述する防空の役割のほか、生活物資統制や配給、供出、貯蓄など国家総力戦をあらゆる側面から支え、徹底するための最末端の組織となった。そして昭和一八年三月には市制改正により、町会が地方自治制度の末端を担う法的な位置付けを明確に与えられた行政補助団体となった。
図4-3-1-1 東京市隣組回報(昭和16年〈1941〉7月18日)
広尾町会で回覧されたもの