昭和一二年(一九三七)の「防空法」に基づき、空襲から都市を守ることは国民の法的義務となった。「防空」(air defence)という考え方自体は第一次世界大戦を経験したヨーロッパより入ってきたもので、「疎開」はドイツに生まれた概念である。欧米諸国より日本の建物の建材が火災に弱いことや都市が過密である事情を考慮して生まれた日本独自の防空が「建物疎開」で、空襲による被害を避けるために、民間人の手で建物を強制的に破壊する措置が執られた防空である。
建物疎開は、米軍による圧倒的な空襲の元に十分な効果を発揮できたとは考えられておらず、また空襲の甚大な被害やその他の戦争体験の下では付随的な記憶となることが多い。また公開されている資料は乏しく、その全容は十分明らかになっていない(川口 二〇一四)。