戦時下の社会教育は、国民の教化と勤労奉仕などの実働に重点が置かれていた。昭和一六年(一九四一)、従来あった大日本青年団、大日本連合女子青年団、大日本少年団連盟、帝国少年団協会が合併して「大日本青少年団」が結成された。都道府県知事が青少年団隊長、青年学校長と小学校長が単位団の団長となり、勤労奉仕や軍人援護、国防訓練などの活動を行った(『港区史』一九六〇)。港区域においても既存の組織を統合した青少年団が誕生した。これに続き、翌年三月に大日本連合婦人会・愛国婦人会・大日本国防婦人会の三団体が統合した大日本婦人会が結成、翌一八年の「戦時国民思想確立に関する基本方策要綱」に基づき、二〇年一月には多くの教化団体や文化団体を合併して大日本教化報国会が作られた。