表4-5-1-3は表4-5-1-2の業種別工場の職工数を表したものである(職工数五人以上の工場は職工数に職員数も含めている。職員数は全体の二割程度であった)。港区域の三区では、昭和一二年から二年間で職工数が約一万人以上増加した。とくに、中心的な産業である芝区の機械・金属産業では、五人以上の工場で約八〇〇〇人、五人未満の工場でも九〇〇人ほど増加していた。芝区だけでなく麻布区や赤坂区でも同様の傾向を示している。また、五人未満の工場もいずれの区でも職工数が増加している。とくに、紡織工場では、昭和一二年に三区で一〇名だった職工数が、二年後には約一八〇〇人に増加した。ただ、五人未満の食料品工場では職工数が減少していた。砂糖やマッチなどの生活物資の切符制が昭和一四年から始まり、またコメの配給制が翌年(昭和一五年)から始まる状況下で、零細な食料品工業の経営が厳しかったことがうかがえる。東京市全体でも五人未満の食料品工場は一万三二八八軒から二年後には三一三三軒に急減していた。
表4-5-1-4は、昭和一四年発行の『赤坂区勢要覧』に掲載された赤坂区の工場の一覧を示したものである。昭和一二年一二月時点での赤坂区に所在した職工数五人以上の工場の所在地、事業開始年月、代表者氏名、主要事業が明記されている。赤坂区は港区域のなかでも工業があまり盛んな地域ではなかったものの、特色ある工場が多かった。食料品関係の工場が多く、なかでも明治時代から操業していた工場は四店(虎屋、香取果実、ちまきや、愛知屋)あった(食料品以外では五店)。区内の立地では赤坂新町と溜池に工場群が多かった。赤坂区は公有地、御料地も多く、そうした土地利用の特徴も影響したのだろう。 (高柳友彦)
表4-5-1-2 港区域の業種別工場数
東京市編『東京市統計年表 第35回第3部産業統計』(1939)、同『東京市統計年表 第37回産業統計編』(1941)をもとに作成
表4-5-1-3 港区域の業種別職工数
注)5人以上の工場では、職員と職工数の合計である。
東京市編『東京市統計年表 第35回第3部産業統計』(1939)、同『東京市統計年表 第37回産業統計編』(1941)をもとに作成
表4-5-1-4 昭和12年(1937)12月時点の赤坂区の工場一覧
『赤坂区勢要覧』(1939)をもとに作成