一九三〇年代後半の商店・商店街

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 東京市内では明治末期から商店街が形成され、様々な商品を扱う店が集積するようになった。一方、二〇世紀初頭には呉服屋からの転換を図った三越や高島屋、松坂屋といった百貨店が登場している。関東大震災以降、それまで高級品を中心に取り扱っていた百貨店は、大衆化を図り特価品販売やバーゲンを行うようになった。加えて、銀座・日本橋といった旧来の商業地だけでなく、新宿、渋谷といった私鉄が発着するターミナル駅に電鉄系の百貨店(昭和九年〈一九三四〉に開業した渋谷の東横百貨店など)が登場した。百貨店の進展は、零細な中小小売商の経営を圧迫し、休業日の実施や営業時間の短縮といった要求を突き付けるなど、百貨店反対運動が一九二〇年代後半以降激化した。
 では、昭和六年(一九三一)の商業調査から、東京市・港区域の商店の動向をみてみよう。表4-5-2-1は、昭和六年調査時の港区域と日本橋区、京橋区、浅草区の商店数を表したものである。商店の経営組織は、個人組織と法人組織と大別できるがここでは合計を記してある(全体でも法人組織の割合は低く、九〇パーセント以上が個人経営であった)。港区域の商店の特徴は、区域内の住民向けに営業を行っている小売が多くを占めている点である。港区域の三区の小売の割合が八〇パーセントを超えている一方、商業の集積地であった日本橋、京橋、浅草区では小売の割合は低く、とくに日本橋区では五〇パーセントを下回っていた。日本橋区をはじめ三区は卸の割合が高かった点が特徴であった。
 芝区で商店数が一〇〇店、麻布区、赤坂区で五〇店を超えていた業種を列挙したのが表4-5-2-2である。いずれの区でも菓子パン類を扱う商店数が最も多かった。計算上、住民二〇〇から三〇〇人あたりに一軒の菓子パン類を扱う商店があったことからも、商店の多くは、非常に狭い商圏で商売をしていたことがうかがえる。また、芝区は、金属、機械、建具など工業が盛んな地域でもあり、そうした産業に関連する商店も多く、一方、麻布区、赤坂区は住宅が多いことから、芝区に比べ蔬菜果物(そさいくだもの)、酒、魚介類、穀物といった生活・食料品を扱う商店が多かった。
 

表4-5-2-1 各区の業態別商店数(昭和6年〈1931〉調査)
東京市編『東京市商業調査書』(1933)をもとに作成