麻布十番商店街の動向

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 東京市内各地には、様々な業種の商店が集まった商店街が数多く存在していた。ただ、商店に関する調査は数多く行われている一方、商店街の概況を示す調査は多くない。そこで以下では、昭和一〇年(一九三五)に東京市によって行われた商店街調査から、港区域で唯一調査対象とされた麻布十番商店街の概況についてみていこう。昭和一〇年一〇月に行われた調査は旧市域から一〇か所(神保町、小川町、人形町、銀座、麻布十番、神楽坂、新宿、上野広小路、浅草、門前仲町)、新市域から六か所(武蔵小山、道玄坂、高円寺、十条銀座、亀戸、小松川)の商店街が選ばれ、商店街に所在する商店の経営状況などが調査されている。
 表4-5-2-3は、それぞれの商店街の業種別商店数、売上額を表したものである。商店街において多い業種は衣料品関係で、表中に表記はないがそのなかでも呉服太物商の商店が多く全体で一八七軒あった。とくに多い商店街は、人形町(一二軒)、麻布十番(一二軒)、門前仲町(一六軒)、亀戸(一七軒)、道玄坂(一〇軒)であり、次に洋品類商が一四五軒であった。衣料品の次に多い食料品では、和洋菓子商が一五三軒で最も多く、次が四九軒の果物であった。
 また、衣料品、食料品以外の商品を扱う商店も多く、とくに旧市内の商店街では、住料品、文化品の割合が高く、普段の食料品や日用品とは異なったものを購入する場として機能していたと思われる。実際、銀座や浅草では衣料品、食料品店の割合は五〇パーセントほどであったのに対して、新市街の亀戸、小松川では、約六五パーセントが衣料品、食料品で占めていた。ただ、麻布十番では新市街と同様の傾向を示しており、周辺住民向けの商店街の性格が強かったことがうかがえる。また、調査された商店街のなかで麻布十番商店街の売上高は平均を若干下回る水準であった。
 では、麻布十番商店街の様相を詳しくみていこう。表4-5-2-4は、表4-5-2-3で示した麻布十番商店街の商店一〇六軒の詳細な業種別の内訳を示したものである。四〇軒を占める食料品店は、蔬菜果物から魚、肉までそれぞれの専門の商店が複数店舗存在していた。また、和菓子、洋菓子、煎餅、パンまで含めると菓子類、パンを扱う商店は一三軒もあり、東京市全体の動向とも共通している。住居や文化的生活に関する品として、紙、薬、時計、メガネなどが扱われ、商店街で一通りの生活雑貨を手に入れることができた。個々の商店経営についてみてみると、上述したように百貨店の攻勢や不況の影響から、小売業の経営は苦しい状況で調査対象の約二割の商店で欠損を出していた。麻布十番商店街に限っても利益を上げている商店八〇店に対して二四店は欠損を出し、平均欠損額は五六四円であった。ほかの商店街と比較して個々の商店規模が小さいものの(例えば銀座では平均欠損額が一店舗あたり一万円を超えている)、決して安定的な経営ではなかった。景気や販売の競争相手の動向に大きく左右されやすかったのである。こうした経営上不利な小売商を支えるものとして東京市が設けたのが商工相談所や商業経営指導員であった。前者は経営改善の指導や取引照会など、後者は小売店の店主をサポートする指導員を確保するとともにその養成を行った。
 厳しい経営状況に加え、一九三〇年代後半以降、小売店では労働力の確保が重要な課題となった。その対策の一環として、いくつかの商店街の商業組合が私立の青年学校を設立している。実際、昭和一三年(一九三八)発行の『店員の採用と教育の実際』では、「店員雇用制度を確立し、素質の良い店員を採用したならば、今度は店員教育の完璧を期し良き店員を養成しなければならない。百貨店には青年学校があって店員教育に遺憾なきを期しているが、一般商店も店員学校を組織することが望ましい」と指摘されている。若年の労働者を集めるためには教育制度の充実が不可欠であった。その学校の一つとして、青年学校が選ばれていた。青年学校とは、昭和一〇年に誕生した中等教育程度の勤労青少年を対象とする教育機関である。それまでの実業補習学校と青年訓練所が合併したもので、昭和二二年まで存続した。公立で運営されていたもののほかに、各地で私立の青年学校が設立され、昭和一四年時に港区域では私立青年学校が一二校存在していた。港区域では機械・金属関連の工場が多く、それら工場に設置された青年学校が多かったのである。
 麻布十番商店街では昭和一四年一一月に青年学校を設立し、生徒数は定員一二〇人とされた。昭和一五年三月時点で、専任教員四人と指導員一人が四学級、一〇七人(男性のみが在籍)の生徒を指導していた。麻布十番商店街のほかに武蔵小山商店街、高橋通商店街、北沢通商店街、佐竹通商店街の商店街商業組合において青年学校が経営されていた。これら商店街商業組合の青年学校では、朝の開店前に教練と学課を行うという特徴を持ち、普段は、午前六時から八時、冬季は七時から九時までの時間があてられた。教科書などの費用は組合負担とされ、組合員は五〇銭から二円の負担金を徴収された。  (高柳友彦)
 

表4-5-2-2 港区域の業種別商店数上位一覧
『港区史』下(1960)をもとに作成

表4-5-2-3 各商店街における業種別商店数
六大都市共同編纂『大都市産業情報』2(東京市、1940)をもとに作成

表4-5-2-4 麻布十番商店街における業種別商店の一覧
東京市『商店街調査書』中小商工業振興調査会資料、第12・第1分冊(1937)をもとに作成