歩兵第一連隊は満州のチチハルに駐屯していたが、原則として兵力の補充などは連隊編制地である港区域から受けていたため、港区域の「郷土連隊」であることに変わりはなかった。そして、歩兵第一連隊は、第二次ノモンハン事件において増援を命じられ、昭和一四年(一九三九)七月に速射砲中隊をハイラルに派遣している。なお、速射砲とは、いわゆる対戦車砲のことであり、ノモンハン事件当時に装備していた九四式三七粍砲は、装甲の貫徹力などが不十分で、ソ連軍の戦車に対しては無力であったとされてきたが、ソ連崩壊後に公開された新資料などによれば、ソ連軍の装甲車両に対して効果を発揮しており、ソ連軍の装甲車両の損失原因の約七〇パーセントが対戦車砲による攻撃であったことが明らかになっている。
さらに続けて八月には連隊主力に対して増援が命ぜられたため、ハイラルに向けて進発するが、九月一六日の停戦命令により、連隊主力は戦闘に参加することなく、チチハルに帰還している(「ノモンハン事件記録昭和二五年二月調製」)。