ノモンハン事件と第三連隊

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 歩兵第三連隊も第一連隊と同様に港区域の「郷土連隊」であり続け、そして、第一連隊と同様に第二次ノモンハン事件において増援を命じられて、昭和一四年(一九三九)七月一七日に速射砲中隊をハイラルに向けて進発させている。さらに八月二六日には連隊主力の派遣が命ぜられているが、これは、ソ連軍の反攻により第二三師団が壊滅的打撃を受けたことによる。第二・第三大隊および歩兵砲中隊と速射砲小隊の合計一一四〇名を佐久間盛一連隊長が直接指揮して増援に向かい、混成第二旅団の指揮下に入った。なお、連隊は、九月一日に駐屯地であるチチハルを軍用列車で出発し、翌二日にハイラルに到着している。その後、陣地の構築や敵情偵察などに従事していたが、九月一六日の停戦により九月二一日にはチチハルへの帰還を命ぜられた。一〇月四日に連隊はチチハルに帰還したが、第三連隊は主力がノモンハン事件に本格的に参加する前に停戦となったため、大きな損害を受けることはなかった。なお、ノモンハン事件では、士官一名と下士官・兵一九名が戦死し、士官二名と下士官・兵三八名が負傷している(『聯隊歴史』四)。  (門松秀樹)