芝浦は、作家の谷崎潤一郎とも縁の深い土地であった。「当時流行の自然主義文学に反感を持ち、それに叛旗を翻さうと云ふ野心」を持っていた谷崎は、後藤末雄や和辻哲郎らと第二次『新思潮』の創刊を計画していた。第二次新思潮は明治四二年(一九〇九)に創刊号が刊行され、谷崎は「誕生」を掲載して文壇デビューするが、その際の編集の場となったのが芝浜館であった。同人仲間に木村荘平の息子荘太がいたためである(谷崎 一九三三)。
第二次新思潮の後見役であった小山内薫は、その頃の様子を「芝、麻布」で次のように回想している。
木村荘太の家兄が芝浜館の経営をしていた。そこで、荘太の斡旋で、そこの座敷の一つを時々編輯会議に借りることが出来たのである。私は単に後見役だったが、直ぐ前に海の干潟の見える広い座敷で、ごろ/\しながら編輯に口を出したことが、二度や三度は確にあった。