ラジオの誕生

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 ドイツのハインリヒ・ルドルフ・ヘルツが明治二一年(一八八八)に電波の存在を実証してから、無線技術は日進月歩の進化をみせた。日本でも明治三〇年に逓信省電気試験所の松代松之助が無線電信機開発に成功するなど、早くから無線の研究に着手していた。また、大正九年(一九二〇)にアメリカで最初のラジオ放送が開始されると、日本でもすぐに、放送事業を計画する民間の事業者があらわれ、東京をはじめ各地でラジオ熱が高まっていった。
 逓信省は関東大震災直後の大正一二年一二月二〇日に放送用私設無線電話規則を公布し、放送事業の民営の可能性を示した。これに二八の団体が出願し、逓信省の選んだ六団体を中心として全団体を取り込んだ事業組織を設立することとなった。こうして大正一三年一一月、社団法人東京放送局が設立された。総裁には後藤新平が推戴(すいたい)され、理事長には芝浦製作所社長の岩原謙三が就任した。これによって東京のラジオ熱はますます高まり、東京放送局は急いでラジオ放送を開始すべく準備を進めた。