近代文化財の保存意識のめばえ

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 明治維新から一五〇年以上が経過した今日では、時代を超えて近代の歩みを伝える歴史的、文化的価値の高い有形無形の所産は文化財と認識され、保護の対象となっている。
 明治維新後、港区域の内陸部、いわゆる山の手には大名屋敷などの大区画の土地が残され、それを引き継ぐ皇室関係の施設や外国公館、有力者の邸宅、教育関係の施設が多く置かれた。また、海側の低地は、新橋駅の開業に象徴される文明開化の玄関となり、民間のビルや商業施設の開発が進んだ。それゆえに、五章一節で触れた区内の各地域による土地柄や気質の違いが生み出す文化を反映する、近代史上価値が高いと評価される文化財が多数所在することとなった。
 では、明治以降の文物が、後世に伝えるべき文化財として意識されたのはいつ頃からであろうか。東京府は、大正七年(一九一八)一〇月に「史的紀念物天然紀念物勝地保存心得」を布告、翌年には史蹟台帳を編成し、その登載対象を『東京府史蹟』として発刊した。この本に港区域から掲載されているのは、高輪岩崎別邸門(旧岡山藩上屋敷長屋門)、高輪泉岳寺四十七士墓、芝公園貝塚、芝公園丸山の大古墳・古墳群、芝増上寺山門、芝徳川家霊廟、善福寺大公孫樹のみで、明治以降は対象となっていない。
 政府は大正八年法律四四号「史蹟名勝天然紀念物保存法」を施行し、それまでの古社寺保存法では保護対象とならない文化財の保護を本格化させた。とりわけ、それ以前から官民一体で広がっていた明治天皇縁の「聖蹟」を保存する運動を反映して、昭和八年(一九三三)から文部省により「聖蹟」の史蹟指定が進められた。