教育関係施設にも建築史上見るべきものが多い。まず挙げるべきは、慶應義塾三田演説館(国指定重要文化財、三田二丁目)である。日本に西洋建築の技法が取り入れられて間もない時期に、近世以来の職人たちが施工した擬洋風建築は、文明開化を象徴する建築として官公庁や学校、ホテルや銀行などに広くみられたが、港区内ではこれが唯一の残存例である。東京の区部に範囲を広げても、本格的な建造物としては、ほかに東京医学校本館(現在の東京大学総合研究博物館小石川分館、国指定重要文化財、東京都文京区白山)を見るのみである。
ほかにも慶應義塾の構内には、明治四五年(一九一二)竣工の瀟洒(しょうしゃ)なゴシック様式の赤レンガ建築である図書館旧館(国指定重要文化財)、スクラッチタイルのゴシック風建築である、大正一五年(一九二六)の塾監局、昭和一二年(一九三七)の第一校舎が現存する。設計はすべて、戦前最大の建築事務所と言われる曾禰中條(そねちゅうじょう)建築事務所が担当し、とくに図書館は同事務所の最初期にして最も著名な作品となっている。
明治学院(白金台一丁目)には、明治二二年(一八八九)頃築の本格的な洋風住宅建築で、都内に現存する最古の宣教師館であるインブリー館(国指定重要文化財)、明治二三年築・二七年大幅な改築を経た明治学院記念館(港区指定文化財)、大正五年(一九一六)築のウィリアム・メレル・ヴォーリズによる建築である礼拝堂(港区指定文化財)があり、三者をあわせ、東京都による「特に景観上重要な歴史的建造物等」にも選定されている。ヴォーリズはアメリカ出身で戦時中に日本に帰化し、戦後まで日本中に多くの作品を残した建築家で、彼の関わった建築物は後述のとおり区内にも多く現存する。神戸女学院(兵庫県西宮市)の校舎群は国の重要文化財に指定されているように、学校建築も多数残している。
聖心女子学院(白金四丁目)は、明治四二年(一九〇九)築・昭和一〇年(一九三五)頃移築・改修の正門が、現在のチェコ生まれのヤン・レツルによる広島県産業奨励館(原爆ドーム)以外の現存唯一の作品であり、東京都選定歴史的建造物に指定されている。また、二階に聖堂を備えた初等科校舎は大正一五年(一九二六)の建築で、レーモンドの設計による。
東京慈恵会医科大学(西新橋三丁目)は、平成二八年(二〇一六)から令和二年(二〇二〇)の校舎および附属病院の再整備工事を経て、戦前の建築を多く失ったが、昭和五年(一九三〇)築の附属病院F棟が整備保存された。
麻布中学高等学校(元麻布二丁目)は昭和七・一二年に建てられた古橋柳太郎設計の普通教室棟を、大きな改変なく大切に使用している。
区内の私立学校にはほかに、岡見健彦設計で昭和一〇年完成の頌栄(しょうえい)女子学院記念堂が知られ、小型の建築ながら師事したライトの影響を色濃く見ることができる。
なお、東洋英和女学院(六本木五丁目)の校舎群も、昭和八年築のヴォーリズ建築であったが、旧校舎の内外装を継承して全面的に改築されている。
公立学校としては、近年までいわゆる復興校舎の現存例が複数あったが、現在では復興最末期の新設校で復興小学校の流れをくむ、昭和一〇年築の高輪台小学校のみが現存し、平成一七年(二〇〇五)の大規模改修を経て現役で使用されている(東京都選定歴史的建造物、高輪二丁目)。
国立の施設として、昭和一二年(一九三七)竣工の東京大学医科学研究所一号館および隣接する翌年竣工の「ゆかしの杜」(旧公衆衛生院、いずれも白金台四丁目)が、重厚なたたずまいを今日に伝えている。いずれも内田ゴシックと呼ばれる内田祥三(よしかず)の設計で、とくにゆかしの杜は、港区が取得し内装を活かしながら耐震補強やバリアフリー化など全面的な改修を施し、港区立郷土歴史館のほか複合施設として平成三〇年(二〇一八)に再生され、港区指定文化財になっている。歴史的建造物の公共団体自身による保存活用の先駆的事例としても高く評価されている。