話をバブル前後の港区財政に戻そう。港区の税収は、バブル前、昭和五九年度は三三一億円であったが、平成三年度は五三五億円にまで増加した。七年で一・六倍以上に増えたことになる。しかし、その後のバブル崩壊の影響によって税収は急減し、平成八年度は三四六億円にまで落ち込む。まさに、バブルがはじけ、税収はバブル前の水準にまで戻ったというわけである。
税収が急減する間、歳出は、施設建設などを中心として、逆に増加を続けた。平成七年度の歳出総額は九六七億円と、一〇〇〇億円に迫ろうとしており、これはバブル前の一・八倍の水準であった。その結果、港区財政は深刻な財源不足に陥ることとなり、財政調整基金を大幅に取り崩すなどして対応したが、いずれ基金も底をつき、本格的な赤字に陥ることが現実味を帯びていった。
こうして港区は、抜本的な財政構造改革に取り組む必要に迫られ、平成八年には「みんなといきいき区政推進計画」なる三か年の行政改革大綱を策定し、さらに、同九年、三年で財源不足の解消を目指す、「財政構造改革指針」を策定した。その基本的な方策は、①徹底した内部努力(職員を一〇年で約四〇〇人削減など)、②事務事業の抜本的見直し(時代の変化に対応した事務事業の廃止・縮小・再構築、サービス水準の適正化など)、③歳入の確保(未利用地等の売却・貸付等の有効利用など)であった。