港区の昼間人口は今なお増加を続けており、昭和三五年には約四五万人だったのが、同五五年に約七〇万人、平成一二年に約八四万人、令和二年には約九七万人と、一〇〇万人に迫ろうとしている。昼間人口の都内一位は、長らく、丸の内や大手町を抱える千代田区であったが、最近では、港区が千代田区を抜いている。事業所数や従業員数でも、港区は都内一位である。
区内では、虎ノ門・麻布台地区、品川・高輪ゲートウェイ地区をはじめ、大規模な再開発プロジェクトが進行中、あるいは計画中であり、今後も、商業施設とホテル、住宅などを併設したオフィスビル群が増えていく。港区は、世界の大都市・東京の中枢としての機能をさらに強化させている。また、赤坂、青山、六本木、台場、麻布十番など、時代の先端をいく、あるいは個性あふれる商業地、繁華街もあれば、米国や中国をはじめとする多数の大使館が所在し、増上寺や善福寺といった歴史ある寺社仏閣も古くからの佇(たたず)まいを残している。そして、何よりも、二六万人の住民が日々の生活を過ごす街でもある。今日の港区は、まさに、多様な顔をもつ都市であり、このような都市を他に探すことは、おそらく簡単ではあるまい。
以下では、今日の港区が、どのような歴史を経てつくり上げられてきたのか、そして、地方自治体としての港区が、どのような行政活動に取り組んできたのか、その七〇余年にわたる軌跡をたどっていくことにしたい。 (大山耕輔・石上泰州)